2021年3月初旬「美術家」の篠田桃紅さんが亡くなったというニュースが流れた。享年107。一世紀以上、日本の美術界で独特の光を放ちつづけた存在である。5歳のときに父親から書の手ほどきをうけ、戦後まもなく墨を用いた抽象表現という新たな地平を切り開き、1956年に渡米。ニューヨークで評価され日本に帰国後は、膨大な作品を制作した。
言わずもがな、だが、このプロフィールだけで圧倒される。収蔵されているのは美術館だけでなく、公共施設や世界の王室など多岐にわたり、目にすると「これが篠田桃紅さんの作品か」と見覚えがある人も多いと思う。私は遅ればせのファンで『桃紅一〇五歳 好きなものと生きる』を読んで、凛とした姿に打たれたのだ。
その書と生き様に早くから魅せられた一人の女性がいる。
松木志遊宇(シュウ)。出会いは志遊宇15歳のとき。桃紅がニューヨークから帰国し「時の人」として注目されたことからだという。これだけならファンのなかにもたくさんいるだろう。
志遊宇はそこからコツコツと作品を集め始める。後に国語と書道の教諭となり新潟の県立高校で教鞭をとりつつ、一切の贅沢をせずに給料を貯めて作品を購入していく。桃紅72歳、志遊宇42歳の折に熱烈なアプローチのすえに研究会の講師に招く。弟子を取らない桃紅だが、作品館をつくりたいと所望する志遊宇の生き方の師として、仕事場への出入りを許し、「志遊宇」という雅号も命名した。桃紅自らが手に入れる作品を選定し他界するまでにその数は百点以上に達した。
本書はそのプライベートなコレクションに、桃紅が仕事場で呟いたり語ったりした言葉が添えられている。
志遊宇が望んだ作品館は、現在、新潟市の志遊宇の自宅に併設され、照明や展示方法には桃紅も携わっているという。(下記の写真で椅子に腰掛けているのが松木志遊宇さん)
編集部のご好意で何点かの絵をお借りし、そこに添えられた文章を記す。キリリとした絵を見てから言葉を読むとしゃんと背筋の伸びる思いがする。
ー 海、波、雪、なつかしく、そして、きびしいもの、
それは、私の生涯求め続けてきたもの、
長い間、思うともなく思い続けていたことに、
あらためて私は気づいた。
”松木コレクション”を、今しみじみ見直して、
その思いを確かめている。
二千五年 初春 篠田桃紅
一本の線を引く、二本の線を引く。
一本の太い線を引く。そこに一本の細い線を
引く。幅のあるものと、幅のないもの。
人はどう思うだろう。
幅の広いほうを見れば柔らかい気持ちになる。
細い線を見ると、鋭い気持ちになるかもしれ
ない。
めぐりあひて 見しやそれとも
わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かげ
― 紫式部(57番『新古今集』雑上・1499