1680年4月5日の夜明け、イギリス人を中心とした331人のバッカニアが遠征の途に就いた。この遠征は現在のパナマ領内に横たわるダリエン地峡を大西洋側から徒歩で越え、太平洋側のスペイン植民地を襲撃するという、途方もなく野心的な試みであった。彼らの行く手にはこれまで何度もヨーロッパ人を拒み続けてきた鬱蒼としたジャングルと連なる山々が待ち構えているのだ。
この遠征には歴史に名を遺す数人の海賊たちが参加していた。彼らの数人はこの遠征を記録しており、その中のひとり数学者でもあるバジル・リングローズの航海記録が後に『アメリカのバッカニア』として出版され人気を博した。他にも策士で卓越したリーダーシップを持ちながら、感情のコントロールが効かないバーソロミュー・シャープや後に作家、博物学者としても活躍するウィリアム・ダンピア、彼らの味方となる原住民クナ族に深い関心を寄せる外科医ライオネル・ウェーファー、20代という若さでありながら勇壮な活躍を見せる信望厚き船長リチャード・ソーキンズなど、私たちが想像する以上にクセの強い海賊たちが次々と登場するのである。
さて、遠征の発端はクナ族の王アンドレアスの孫娘がスペイン人に拉致されことから始まる。おそらく彼女はスペイン人の姓奴隷にされているはずだ、クナ族はそう考えた。スペイン人が新世界へといち早く進出して以来、彼らは「根っから劣等な」先住民を隷属させることは、慈悲であると嘯き苛烈な支配を行ってきた。クナ族の王も若いころにスペイン人の奴隷として過酷な労働を強制されていたようだ。そんなクナ族の王アンドレアスが孫娘を取り返すために援軍として期待したのがイギリスのバッカニアたちであった。当時ゴールデン島の北に位置するパインズ島には366名の海賊たちが上陸していた。アンドレアスはこのバッカニアの集団を味方につけるためパインズ島に向かう。
ちなみに拉致されたプリンセスの名前は現代に伝わってはいない。遠征に参加したバッカニアの誰一人もその名を記録しなかったからだ。しかし、その容姿は伝わっている。曰く、一目見たヨーロッパ人の兵士や冒険家はその誰もが彼女に結婚を申し込むほど美しい娘であったという。後に遠征の途中でアンドレアスの息子ゴールデン・キャップが支配する村に立ち寄ったバッカニアたちの多くも、プリンセスの妹に一目惚れして求婚を申し込んだことが記録されている。
だが美しい娘のためにこれほどの多くのバッカニアが遠征に参加したわけではない。そこはやはり海賊である。当然ながら黄金こそが第一の目的だ。当時「南海」と呼ばれていた南太平洋にイギリス側は進出しておらず、スペインの独断場であった。このため南太平洋側のスペイン植民地の防御態勢は脆弱であることが知れ渡っていたのである。バッカニアたちはクナ族と同盟を結び、彼らを案内人としてダリエン地峡を越え「南海」側に到り現地調達した船を使い脆弱な防御体制のスペイン植民地を荒し周る算段であったのだ。
さらに好都合なのが、プリンセスが幽閉されているサンタ・マリアの街は中南米で最も豊かな金鉱を有する街なのだ。クナ族の王の話に俄然沸き立つバッカニアであったが、問題もあった。というのも1670年代からヨーロッパ列強の間で和平交渉が盛んになり私掠船に合法の許可を与えることがなくなっていたのだ。パナマ遠征を行えば母国イギリスをも敵に回すことなる。バッカニアたちは母国イギリスでお尋ね者となるリスクとサンタ・マリアにあるとされる1万8000ポンドから2万ポンドの黄金を天秤にかけ、投票を行う。結果は遠征賛成票が圧倒的に多数。こうして彼らは未知の世界へと足を踏み入れることになる。
ジャングルとダリエン地峡越えは過酷な行軍で未知の野生動物の気配に怯え、激しい虫の襲来に逃げまどい、毒を持つ植物に皮膚を蝕まれる。だが何よりもバッカニアを苦しめたのは、クナ族が本当に味方かという疑念だ。未知の陸地の奥へ進むごとに、これはスペイン人の罠ではないのかという猜疑心が頭をもたげてくる。だが、そんな疑念もアンドレアスの息子ゴールデン・キャップの村での温かいもてなしで和らぐ。彼はバッカニア達を歓迎し、村の戦士たちを援軍につけてくれた。サンタ・マリアの兵力はバッカニア達を凌駕することが確実なためこの援軍は心強かったであろう。
兵力で勝るサンタ・マリア攻略はソーキンズ率いり決死隊の凄まじい戦いによりあっけなく決着がつくのだが、結論から言うとプリンセスは拉致されたわけではなかった。ある事情により自らの意思で出奔していたのだ。あっ、と驚かせる展開はまさに小説よりも奇なりという言葉がぴったりである。プリンセス出奔の理由は是非、本書で確認していただきたい。
一方でバッカニアたちが待ち望んだ黄金の件なのだが、サンタ・マリアの総督はバッカニア達の襲撃の情報を事前に手にしており、膨大な黄金とともにパナマへと逃亡していた。「黄金への渇望」これこそが彼らの行動の原動力である。当然バッカニア達は黄金を追いかけ「南海」へと進出していくことになる。
「南海」遠征の詳細は本書に譲るのだが、当時の海賊たちの戦闘力の高さには驚かされる。スペイン側はいち早く情報を手に入れ、沿岸の街々は住民からなる民兵とスペイン正規軍に固められていたため、苦戦を強いられる。しかし圧倒的な数で押してくるスペイン側を彼らは何度も撃退し大きな被害を負わせている。何度か行われた海戦では兵力が劣勢であるにも関わらず圧勝しているのである。当時、カリブの海賊が恐れられたのもうなずける。
他にも海賊暮らしの苦労なども綴れている。当時の木造船は水漏れが必ず発生するため海賊たちの居住区は常に水が溜まっており、生きているネズミと溺死したネズミとともに暮らしていたという。腐った水は悪臭を放ち、真水が貴重なため海賊たちは風呂に入らずこちらも悪臭を放っている。水や食料不足は度々起き、彼らの体を蝕んでいく。壊血病はお決まりの病気でこの遠征でも多くのバッカニア達が苦しんでいる。
一方で、スペイン船への襲撃が成功すれば、その財宝は平等に山分けされ、当時の労働者の数年分以上のピース・オブ・エイトが手に入る。揺るぎない階級社会のヨーロッパで下層階級出身者がこのような富を手にできる可能性は限りなくゼロだ。彼らが命を懸け、社会の敵となってでも海賊という生き方選んだのにはそれなりの理由があることが本書を読むとわかるのである。
ちなみにこの遠征隊の指揮官に最終的に選ばれたのはバーソロミュー・シャープだ。彼はこの遠征を成功させイギリスに帰国するが、母国で逮捕されてしまう。海賊は通常は死刑になる。しかし、裁判は彼がスペイン船から略奪した「ある物」によって思わぬ方向へと転じていくのである。遠征終了後のバッカニア達の運命にも注目してもらいたい。