なんだか全然わからないことの楽しさ『中国の死神』

2023年10月9日 印刷向け表示
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作者: 大谷 亨
出版社: 青弓社
発売日: 2023/7/14
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2000年の夏、ある子どもが家族で北京の公園に遊びに行った。広いその公園には、お化け屋敷のようなものがあった。こわごわ暗闇の中に入っていくと、ゴワゴワした髪の毛の首つり女の人形や、地獄の鬼卒がいた。なぜかそこにティラノサウルスが現れた。


針の山で血みどろになったおじさんや、血の池地獄で煮られているおじさんの間に、草をはむステゴサウルスもいる。最初は怖がっていたその子どもは、その中国の適当さ(?)にすっかり慣れていき、途中から「ハイまた恐竜~」と弟とふざけながら進んだ。その後に大変な出来事が待っているとも知らずに。

そのまま進むと、出口付近にボロボロの老婆(人間)が座っていた。そこには「一回5元」と書いた看板が掲げられている。子どもがわけのわからないまま5元を渡すと、老婆は壁のスイッチを押した。すると、「ウルトラマン! ウルトラマン!」という声とともに、大きな大仏が7色のライトを浴びて姿を表した。

「えっ!? これ……ウルトラマンじゃ……ないよね!?」驚く子ども。その、見た目大仏のウルトラマンからは「ゴトン……ゴトン……」という大きな音が響いている。そこで、老婆が「取れ!」と子どもに合図を送った。すると、そのウルトラマン(?)の口が開いている。恐る恐る、その口に手を入れると、その中から出てきたのは、ゆで卵だった――。

夢の話ではない。中国民俗学の研究者、大谷亨さんの子どものころの体験だ。大谷さんは、成長してから中国の厦門に留学し、中国の妖怪(神様?)である「無常」をフィールドワークして博士論文を書くことになった。ちなみにウルトラマンの口から出たゆで卵は、なんとなく大谷さんは食べられず、お母さんが食べたらしい。お母さん、けっこう肝が据わっている気がする。

無常とは、中国の死神のことだそうだ。中国人にとってはポピュラーな存在で、地元のお祭りでその姿をよく見たり、廟に祭られていたり、ゲームやドラマにも登場するらしい。すごく長い帽子をかぶっていて、そこには「一見生財(一回会うと大儲け)」と書かれていたりする。

また、白の無常と黒の無常がいて、よくペアになっている。白無常の帽子を人間がかぶると姿を消せるので、悪いことができ大儲けできたりするが、黒無常に会うと死んでしまうという物騒な神様である。黒無常にもし出会ってしまったら、服を木の枝にかけてそれをお取りにして回避しなければならないなどと言われる。水木しげるのマンガにも出てきそうな、なかなかキャラが立っている世俗的な神様のようだ。

どうして無常は、神と言われながらこんなに俗っぽいのだろうか。「無常とは、そもそも神ではなく、山中に生息するバケモノで、それが何らかの理由でバケモノ→鬼→神になったのではないか」と仮説を立てた大谷さんは、広大な中国で無常研究に乗り出した。

大谷さんの研究の基本は「無常採集」である。無常の廟があると聞けば行き(難易度は1らしい)、お祭りがあれば行く(難易度は2だそう。迎神賽会は現在はあまり存在しなくなっており、実施されていたとしてもローカルな行事なので、地元の人以外はなかなか情報が入ってこないため)。また、口頭伝承も採取する(これは難易度マックス)。

大谷さんは、大変文章がうまい。この文章のおもしろさは、「中国は、なんだか全然わからないけど、おもしろい」という冒頭のエピソードにも共通しているような気がする。

たとえば、フィールドワークで無常を採集する際の基本装備が冒頭に紹介されているが、大学Tシャツや水筒、小麦粉などが必要だと書かれている。この大学Tシャツは、厦門大学でフィールドワークの際に着ていけと推奨されていて、よそ者の来訪に慣れていない農村におじゃまする際に、大学Tシャツを着ていると自己紹介が容易だからそうだ。

また、水筒は、中国では駅のホームなどに無料の給湯器がよく設置されてるため、水筒と茶葉を忍ばせておけば優雅なティータイムを過ごせるかららしい。小麦粉は、石碑に彫られた文字を読みやすくするために携帯するそうだ(ここから、大学の歴史学系フィールドワーカーは、自分のことを「小麦粉学派」と呼んだりするらしい)。

この本は、無常の研究結果を縦糸に、「無常珍道中」というコラムを横糸につくられている。「無常珍道中」は、著者を通して中国の「なんかすごい」おもしろさがさく裂する。

真冬に真っ白なPM2.5に包まれた幻想的な遠い田舎ですばらしい地獄廟を発見し、そこで占いオババにぼったくられたり、厦門から21時間の田舎での伝統的なハメを外したお祭りで、美熟女占い師にぼったくられたりする(それにしても、大谷さんはよくぼったくられている)。

冒頭のエピソードや、コラムを通して「なんかわからないけどむちゃくちゃおもしろい無常(と中国)」という著者の気持ちがひしひし伝わってくる。研究も中国もこんなにおもしろいものだったのか、というのがこの本に通底するテーマだと思う。「研究ってめっちゃ楽しいんだな」と読んでいて私もワクワクした。

著者は、無常が何なのかを調べることによって、中国の民間信仰や妖怪、神などもわかり、中国人のアイデンティテイがわかってくるかもしれない、それは中国文化論を前進させるだけでなく、周辺諸国の文化論を鍛えなおすことにもつながるはずであるという。その根底に、「なんかわからないけど圧倒的におもしろい」という素朴な力があるのが本書の痛快な部分であり、魅力である。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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『決定版-HONZが選んだノンフィクション』発売されました!