熱き男が叶えたジャパニーズドリームここにあり! 『逆転力、激らせろ−希望を咲かせて』

2023年9月27日 印刷向け表示
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作者: 山分ネルソン
出版社:IAP出版
発売日: 2023/9/9
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あるんや、ジャパニーズドリームって。この本、山分ネルソンの一代記を読めば、誰もが驚きを持ってそう思うだろう。もうひとつ、私にとっての大きな驚きは、それが身近なところでおこっていたことだ。すこしわかりにくいが、タイトルの「激らせろ」は「たぎらせろ」とルビがふってある。

山分ネルソン祥興、マレーシア出身の50歳。大阪や関西圏以外の人はご存じないかもしれない。私が長年勤めていた大阪大学医学部出身の産婦人科医師である。20年ほども後輩だし、母校の教授になった頃にはすでに卒業していたので面識はない。

ワイドショーに出てコメンテーターを務めていること、それから、だいぶ前になるが参議院議員選挙に大阪地方区から立候補したことくらいしか知識がない。唯一のつながりであるFacebookを見ていると、ド派手な衣装でダンスをしている写真とかがアップされている。なんだかちょっと胡散臭い奴ちゃうんか、と思っていた。スンマセン、完全な誤解でした。

日本の大学で勉強したくて、片道切符と15万円ぽっきりを持ってやってきた。家で作った菓子を屋根のついた三輪自転車で売って回って生計を立てる貧しい家で、母は読み書き計算がまったくできなかった。それでも「子どもの教育だけは」との思いから名門私立進学校に通わせてもらう。クラスメートとの生活レベルの違いによる苦労などをかさねながらも、学年で3番という優秀な成績で卒業する。

英語で教育をおこなう学校だったから、英語圏の大学へと留学するのが通常のコースだ。しかし、ネルソンさんは日本を選ぶ。教頭先生には、日本に行きたがるのは英語が苦手で勉強がイマイチか不法労働目当ての人ばかりであると止められたのに、である。さらに驚くのは、まったく日本語ができなかったことだ。理由は極めてシンプル、小さい頃からの日本への憧れだというから、泣けてくる。まるで浪花節ではないか。

語学学校で2年間勉強した後、北海道大学の薬学部へ入学し、修士課程に進む。と書けば順調だが、苦難の連続だった。極貧生活で、パンの耳を大切に食べた話とか、ホストクラブでアルバイトをした話とか、泣けて笑える。北大の博士課程へ進むつもりで日本学術振興会の特別研究員に申請し、採用率2割程度という高倍率を突破して無事に採用される。

にもかかわらず、これも子どもの頃からの夢だった医師になりたいという思いを絶ちきれず、大阪大学医学部への進学を決める。経験上よく知っている後期入試だが、超難関だ。単純な比較は難しいが、おそらくは特別研究員以上の狭き門である。

面白いのは、マレーシアのお父さんが阪大医学部への進学に反対だったことだ。北大の博士課程に進めば、特別研究員の給与が月20万円ほど支給されるが、阪大なら貧乏学生のままである。それに北大ではいい研究もしていたし。いやぁ、、ネルソンさんも書いてるけれど、息子が阪大医学部に合格して喜ばなかった親というのはさぞ珍しかろう。なんだか愉快!

ここまでだけでも、本のタイトルどおり、逆転力がすごすぎる。英国などには目もくれず日本へ、そして、親の反対を押し切り阪大医学部へ。もちろん、能力があってこそだが、それ以前に決断力が凄すぎる。というより、ほとんど訳がわからないレベルだ。

産婦人科を選んだのは、母子両方の命を助けることができるということもあるが、当時の教授であった村田雄二先生の薫陶が大きかったという。ホンマですか…。村田先生とは短い間だけれど同僚教授として過ごしたことがある。むっちゃ恐いタイプで、私などはできるだけ視界に入らないようにしていたほどだ。ネルソンさん、偉すぎるやん。あ、村田先生ごめんなさい。たぶん読まはらへんと思うけど。

医師になって経験した患者さんのことなどが書き綴られていく。まさに心優しくハードワークのお医者さんだ。だが、勤めていた市民病院で経験した、壮絶な、そして悲しすぎる経験から、医療現場の現実に憤りを感じ、政治家にになろうと決意する。いやぁ、ふつうそんなこと考えへんやろ。地盤、看板、鞄はもちろん、知識も経験もないのに。この決断は、日本行きとか阪大医学部進学とかよりもはるかに逆転力が強すぎではないか。しかし、舛添要一が立ち上げた新党改革から、2010年夏の参議院選挙に大阪選挙区で立候補することになった。

出だしはさんざんで、記者会見では意地悪とも思える質問を浴びせられたりした。その女性記者は、どこぞのお笑い芸人がちゃかして立候補したのだろうと思ったそうだ。たしかに、山分ネルソンの字面を見ればそうでもないが、「やまわけネルソン」という語感からいくと、芸名としてあかもしれない。しかし、その記者さん、しっかりした受け答えをするネルソンさんに感銘をうけて、意見を180度変えたという。残念ながら当選ラインに及ばなかったが、一万票もいけば上等といわれていたのに10万票以上の得票があったのだから、そのアピール力は大したものだ。

2013年には、女性特有の病気や悩みに寄り添えるようにと、婦人科・産科・乳腺外科・甲状腺外科という4つの診療科からなる「希咲(きさき)クリニック」を十三に開設した。十三(「じゅうさん」ではなくて「じゅうそう」と読む難読地名)といえば、かつてはラブホテルが林立していた大阪を代表する場末感あふれる地域だ。怪しげな(?)おじさんに言い寄られて、その場所を借りることになる顛末は爆笑だ。このエピソードだけではなく、全編、おもろい話がぎっしりつまっている。もちろん、医療に関する真面目な話もたくさんあって、とても盛りだくさんである。

ネルソンさんにとっての日本は、クリニックの名前とおなじく「希望を咲かせられる国」である。ご恩になった国の人たちへエールを贈りたいというのが、この本を書いた動機だという。そりゃそうだろう、自分が憧れ、そこで成功をつかんだ国がつまらない国になってしまったらたまらない。

いま、自分で決断する

失敗してもいい、まずはやってみよう

そして

苦しいからこそ、楽しんで今の逆境に立ち向かってみよう

こういった熱いメッセージが全編に込められている。アメリカンドリームほどではないかもしれないが、きっと、ジャパニーズドリームの芽もたくさんあるはずだ。我々はそれを見ようとしていないだけではないか。ちょっと怪しい奴だと思っていたネルソンさん、この本を読んだら、いやに輝いて見えてきた。ぜひ、一度お目にかかりたいと思っている。


決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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