言語がどのように生まれたかに興味を持つ人は多いのではないか。なによりも人間を人間たらしめている大きな理由のひとつは言語なのだから、当然のことだろう。すこし前に書評を書いた『言語はこうして生まれる:「即興する脳」とジェスチャーゲーム』は、そのあたりを論じた本である。
周囲の人に何かを伝えるために言語が生まれた。最初から単語、ましてや文法があった訳ではない。まずはジェスチャーゲームのようなものから言語の体系が生まれてきたのではないかというのが、『言語はこうして生まれる』の内容だ。すべての言語に共通する「普遍文法」を理解する能力が遺伝的に備わっているという、あのチョムスキーの「生成文法」理論に真っ向から刃向かう考えで、たいそう面白かった。
言語の「自然発生」を考えれば、この説の方が正しそうではないか。もしそうならば、多くの言語に共通する痕跡が何かしら残っているはずだ、と漠然と考えていた。言語学ではなくて、発生学あるいは進化論的な発想である。この本『会話の科学』は、すくなくとも私にとっては、その答えのひとつを与えてくれた。
言語学が扱うような単語や文法ではなく、会話そのものの分析である。よりわかりやすく言うと、言葉のキャッチボールがどのようにおこなわれているかの解析だ。世界中の言語での会話を録音し、言葉が受け答えされるときにどれくらいの時間がかかるか、あるいは、言葉のやりとりがうまくいかなさそうなときにどのような反応をしめすかなどが紹介されていく。
読めば納得。「おぉ、日常会話ではたしかにそうなっとるわ」と、うなずきたくなることばかり。驚くべきことは、解析された数多くの言語において共通している性質が多いことだ。さらには、日常的な会話をスムーズにおこなうには信じられないほど高度な能力が必要なこともわかる。たしかに我々人間は、著者がいうところの「会話機械」それも、共通した基本スペックを持つ高度な会話機械なのかもしれない。
ふたりが電話で話しているとき、当然ながら、一人ずつが交代でしゃべる。あなたは、相手が話し終わるのを待ってから話し始めると思っているだろう。しかし、実際は違う。相手が話し終えてから話すという行為を始めると、0.5秒以上の遅れが出るはずだ。しかし、実際には、それよりも早く、英語でもドイツ語でも0.2秒程度で会話のバトンが渡る。すなわち、相手が話し終える前の段階で、何らかの情報を察知し、話し始める準備をしているということだ。そのきっかけが何であるかは定かではないのだが、データに間違いはない。
それは英語やドイツ語でのことで、日本語はちゃうんとちゃうんか、という疑問も当然ありえる。しかし、その考えは大きく間違えている。英語、イタリア語、デンマーク語といったヨーロッパの言語、日本語、韓国語、ラオ語といったアジアの言語、イェレ語、ツェルタル語、アクホエ・ハイロム語といった誰もどこの言葉か知らなさそうな言語―実際には、順に、ニューギニア島の西にあるロッセル島の孤立した言語、マヤ語族の言語、ナミビア土着の言語―のいずれにおいても、平均すると0.5秒よりも短いレスポンスで会話が回る。
図を見てほしい。相手が会話を終えた時点が「0」で、どのタイミングで反応したかを数字で示してある。プラスは相手の話が終わってから、マイナスは終わる前の時間(単位はミリ秒)だ。日本語は、やたらとレスポンスが早い。そうなんや。しらんかったけど、日本語は世界一「食い気味」で対話が進行する言語やったんや。10種の言語しか調べられてないから暫定ではあるけれど、世界一ってなんかすごいやんか。一方、北欧の人はレスポンスが遅いといわれているらしいが、デンマーク人のデータはその説を裏付けている。それでも平均時間が0.5秒以内だから、やはり前のめりである。
相手が発する様々な手がかりから適切な応答のタイミングを予測する能力を持っていて、しかもほとんどの人が積極的にそのタイミングを予測する意思を持っている
かくのごとく我々は、意図せずにこのようなことをおこなっている優れた「会話機械」なのだ。ちなみに霊長類の一種であるマーモセットでも「話者交替」によるコミュニケーションが認められているが、相手の発声が済んで5秒ほどの間隔があっての交替なので。人間とは大きく異なったものである。
もうひとつのデータも面白い。「はい・いいえ」で答えられる問題に対して、はい・いいえで答える場合(灰色のバー)と、それ以外(黒色のバー) ― たとえば、答えにくくてあいまいな返事をする場合とか ― の平均時間のデータである(単位はミリ秒)。どの場合でも、はい・いいえで答える時の方がずいぶんと早い。なんとなくわかるなぁ。そして、ここでも日本語はぶっちぎりにスピーディ―だ。はい・いいえ返事の時なんか、質問が終わるまでに答え始めてるやん。いやぁ、なんでかわからんけど、やっぱりすごい。
他にも、会話中の沈黙が1秒を超えると問題があると感じてしまう、「あー」とか「えーと」という意味がないと思われる言葉にも積極的な意味がある、会話の流れを修復するには「何?」、「誰?」、「え?」で聞き直す、など、言語を問わず共通した会話機械の性能が明らかにされていく。
「言語の基本的な特性」、「人間の社会的認知能力」、「相互交流の文脈」などに依存して機能する「会話機械」。この「生物学者のように」、「フィールドワークをしてデータを集めた」会話研究は「主流の言語学とはかけ離れたもののように見えるかもしれない」という。確かにそうなのかもしれない。しかし、なんともわくわくさせてくれる研究ではないか
日本語でも、大阪人と和歌山人あるいは東北人とかではデータに差があるような気がするんやけど、どうなんでしょうね。いやぁ、個人的には、いらちなんで、相手が話し終わる前にかぶせて話してしまうことが多いんですわ。それって、むっちゃすぐれた日本語会話機械っちゅうこと?とかいうのは勘違いですわな。
言語の起源はジェスチャーだった?むっちゃおもろくて納得のいく仮説です。
どの言語とも類縁関係を持たないというピダハン語。はたして会話機械としての共通性があるのだろうか。内藤順のレビューはこちら。