超高齢者社会をひた走る日本では、親族に認知症がいるのは珍しくない。コロナ禍で人に会わなくなって発症者が増えたのか、街中で怒鳴る老紳士を頻繁に見るようになった。小さくなって周りに謝る夫人が不憫だ。
ノンフィクション作家の高橋秀実の父親、昭二が認知症と診断された。母が病死したのに、死んだことを認識していないようなのだ。
記憶障害、見当識障害、思考障害などいくつかの症状が集まって最低限の自己管理ができなくなれば、それが認知症ということになる。だが父親は生活全般を母に任せていた。もともと認知症のような父をどうやって一人で暮らしてもらうか。結局息子の高橋が通うことになる。
このあたりまでは〈親を介護する〉というごく一般的な話である。だがどうやらこの息子、父親を観察して分析し始める。このわからなさは哲学に似ていると思いだしたのだ。
介護認定の調査員の面接では、認知判定の決め手となる「取り繕い反応」で堂々と嘘を言う。聞き間違いのふりや質問に対しての抗議、さらに「100引く7」の問いかけに「じかに?」と聞き返したのには笑った。
とぼけているわけでもないし、悪気もない。息子と散歩しながらの会話はスムースだが、かみ合わない。その禅問答のような会話をプラトンやアリストテレス、デカルト、ニーチェ、サルトル、ベルクソン、西田幾太郎や九鬼周造の哲学書と照らすと、なんとなく理解できるような気がするから不思議だ。
父の昭二にとって息子は、時に社長になり、義兄弟になり、母親にまでなってしまう。だが息子への信頼は揺るがない。そして最強のカードは高橋の妻、エミちゃんが握っている。
私の舅も認知症の為せる暴力行為で施設に強制入院させられた。彼の鬱屈はなんだったのかと今でも時々考える。間違いないのは、私もあと十年も経てばその年齢になるのだ。哲学を勉強しておこうかな。(週刊新潮3月30日号より転載)
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