人を「叱る」ときに脳は快感を感じている 『〈叱る依存〉がとまらない』

2022年6月9日 印刷向け表示
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作者: 村中直人
出版社: 紀伊國屋書店
発売日: 2022/2/4
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あなたのまわりに「叱る」人はいるだろうか。「怒る」ではなく「叱る」人だ。

叱るには「親や上司など指導する立場の人が、未熟な人を注意する」というニュアンスがあることを、きっと多くの人が賛同するだろう。「叱る」という言葉には=人を育てるというような意味を含んでいる。

「叱る」と「怒る」のふたつの言葉にあるこの差は大きい。「叱る」の持つ意味には、叱る人は悪くなく、叱られる人が悪いという響きがある。「わかっている人」が「わかっていない人」に教えるものだという雰囲気がある。

それに気づいたら、ちょっと怖い単語だと思わないだろうか。叱ることは、前提として優位な立場の人間が自分より下の人間に行う、歪な関係を前提にする言葉だからだ。

臨床心理士の著者は、この本の中で、「叱る」ことを以下のように定義している。

言葉を用いてネガティブな感情体験(恐怖、不安、苦痛、悲しみなど)を与えることで、相手の行動や認識の変化を引き起こし、思うようにコントロールしようとする行為。(34ページ)

つまり、叱ることは相手を支配することだという。本書は「叱る側」の危うさをさまざまな視点で書いている本だが、特に怖いのは、「叱ると脳は快感を報酬として得る」と指摘しているところだ。

たとえば今流行の異世界転生ものの定番の人気ジャンルに「悪いことをしていない令嬢が無実の罪を着せられ処刑をされた瞬間から始まるもの」がある。もちろん、未来の記憶を元に、自分を殺した人物への復讐をしていくという勧善懲悪だ。水戸黄門と同じ構造だ。時代が変わってもずっと、人間の脳は、何かを「叱る」ことで快感を得るしくみなのだ。

快感を得るなら、もちろん叱る行為には依存性がある。叱って快を得られたとして、全員が依存症になるわけではないが、そこから「よく叱る」ようになる人、つまり依存するようになる人は「今人生でなんらかの苦痛を感じている人」の可能性が高いと著者は言う。

叱ると、快がもたらされるのはもちろんのこと、何かしら別の理由で苦痛がある人は、また似た別の回路が動いて、二重に報酬をもらえるのだという。たとえそれが「自分が叱っている間」といういっときだけであっても、今「受け入れ難い現実」がある人は叱る中毒になりやすいそうだ。

「あの人あんなにいつも何かを叱ってて疲れないのかな」と疑問に思うような人は身の回りにいないだろうか。直接の知り合いじゃない人にまで、自分の「正しい」意見で叱っている人はもしかして、二重に報酬を受け取っているのかもしれない。まさに「叱る」依存症だ。

そもそも、叱る行為自体は、相手の成長という点で考えると、まったく意味がないそうだ。たとえば、心理学者のセリグマンらが1967年に発表した犬の実験がある。

それは、犬たちを

1、理不尽に電気ショックを与えられ続けたグループ
2、電気ショックを与えられたが、苦痛からの回避方法も同時に与えられたグループ
3、何もされなかったグループ

の3つに分けて行った実験だ。これらの犬たちを、電気ショックを与えられた次の日に簡単に逃げ出せる箱に入れ、犬が電気ショックから自力で脱出できるかどうかを見る。


これはどういう結果になっただろうか。

なんと、1のグループの3分の2が脱出せず、ずっと電気ショックをうけていたという(2、3は全部脱出した)。なぜ1の大半ができなかったかというと、犬が体験した苦痛が「自分では苦痛をまったくコントロールすることができず、受け身にしかなれない」ことだったからだという。これらは学習性無力感と呼ばれるそうだ。

生き物に自分ではどうしようもないと思わせて、我慢を強い続けると、目の前にそれから逃れる術があっても、何もしなくなってしまうらしい。めちゃくちゃ怖い。

繰り返し叱ることもこれと同じで、学習性無力感を人に植えることになる。本人は何をやってもしょうがないと思い、なにもしなくなくなるようになるのだ。つまり、成長から最も遠い状態である。ただ、見せかけ上は大人しくなり、言うことを聞いているように見えるので、叱る側が満足する。

でも、他者から強制された我慢や苦痛には、害はあっても利益はない。叱るのはただ、目の前にいる相手を支配したいという欲望なだけだと著者は言う。

この本には、学習性無力感を解除するにはどうしたらいいかがちゃんと書いてある。それは「自分の力で、今ある苦痛をなくせそうだということに気づいたとき」だそうだ。自分の力で現実をコントロールできそうかどうかと思えたときに、人は自分の力で動けるようになるようだ。

だから、自分の力で学ぶという行為はとても大事なのかもしれない。人が学ぶのは、これまでできなかったことができるようになること、つまり不可能だと思っていることも、コントロールできためのものだからだ。自分が「叱られて」無力感を持っている人にとっては、学ぶことが洗脳を解くのかもしれない。

誰かからの支配を解くために必要なことが「自分が現実をコントロールできる実感」だということを、私たちは覚えておくべきだ。もし「叱る」人がいたら、それが対処する杖になる。


 

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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