『マイホーム山谷』福祉の新たな可能性を描く 小学館ノンフィクション大賞受賞作

2022年5月5日 印刷向け表示
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作者: 末並 俊司
出版社: 小学館
発売日: 2022/4/26
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(知らなかった。こんなことになっていたなんて……。)

読みはじめてすぐにそう思った。かつて脚光を浴びた人物の驚くべきその後が記されていたからだ。
東京メトロ日比谷線の南千住駅の南口を出てしばらく歩くと、泪橋の交差点にさしかかる。かつてはここに思川という川が流れていた。漫画『あしたのジョー』では、丹下段平のボクシングジムは泪橋の下にあるという設定だったが、現在は橋はなく、交差点の名称として残るのみだ。この泪橋の向こうに広がるのがドヤ街として知られる山谷地区である。

東京都台東区と荒川区の一部にまたがる山谷地区は、大阪の釜ヶ崎(大阪市西成区)、横浜の寿町(横浜市中区)と並ぶ三大寄せ場のひとつだ。戦後の朝鮮戦争特需や1964年の東京オリンピック、高度経済成長を日本が経験する中で、その発展を支える肉体労働者の供給元として機能してきた。

ちなみにドヤとは、宿をひっくり返した隠語で、宿とは呼べないような粗末な寝どころを指す。現在も一泊1500円から3000円程度で泊まれる簡易宿泊所が1・7㎢ほどの地域に密集しており、これを総称して山谷地区と呼んでいる。「山谷」という地名は江戸時代からあったが、1966年の住居表示の変更に伴い地図上から消えてしまった。現在はあくまで通称として残っているに過ぎない。

この山谷で、山本雅基さんは名の知れた人物だ。彼はホームレスの人たちのためのホスピス施設「きぼうのいえ」の創設者として知られる。きぼうのいえは、路上生活者のまま歳をとった人や心身に深刻な病気を抱えた人などを積極的に受け入れる施設だ。スタッフは彼らの日常生活を支えながら、最期を迎えるまで家族のように寄りそう。

山本さんは妻の美恵さんとともに2002年に「きぼうのいえ」を設立した。同施設は06年にNPO法人となり、現在まで山谷地区の福祉を支える中心的な存在であり続けている。設立から約20年で220人以上の入居者の最期を看取ったという。

活動が認められ、山本夫妻は07年、公益財団法人・社会貢献支援財団の社会貢献者表彰を受けた。09年にはマザー・テレサ生誕100年を記念したドキュメンタリー映画『マザー・テレサと生きる』で、きぼうのいえが大きく紹介された。

広く知られるきっかけになったのは、2010年1月に封切られた山田洋次監督の『おとうと』だ。作中には、きぼうのいえをモデルにした「みどりのいえ」が登場する。山本夫妻もモデルになり、小日向文世と石田ゆり子が夫婦を演じた。同じ年の12月13日には、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』が「山谷の街で、命によりそう」と題してきぼうのいえを取り上げた。番組は美恵さんに密着する形で構成され、入居者たちとの日々が温かい目線で綴られていた。

日本を代表する映画監督と日本でもっとも有名な人物ドキュメンタリーによるお墨付きの効果は絶大だった。きぼうのいえは多くのメディアに取り上げられるようになった。

だが、実はその裏ではとんでもないことが起きていたのだ。

著者が山本さんに初めて会ったのは、2018年のことだった。在宅介護の両親を立て続けに看取った後、緊張が解けたせいか、うつ状態になってしまった著者は、山本さんの個人ブログに出会い、話を聞きたいと思った。なにしろあのきぼうのいえを立ち上げたカリスマである。なにかしら救いになる言葉を聞けるのではないかとの思いから山本さんのもとを訪ねた。

ところが、待っていたのは期待と大きくかけ離れた現実だった。

招き入れられた部屋はカーテンが閉ざされ、濃厚な異臭を放っていた。薄暗い部屋で、でっぷりと太った山本さんは虚ろな目で酒を飲んでいた。

聞けば、重い統合失調症の症状があり、一日中ベッドから起き上がれないことも多いという。きぼうのいえの理事も解任され、生活保護を受けながら、かつての仲間たちに支えられながら暮らしていた。福祉が必要な人々に手を差し伸べてきた山本さんは、いつの間にか差し伸べられた手を握る側になっていたのだ。しかもそこに美恵さんの姿はなかった。

話は8年前にさかのぼる。『プロフェッショナル』のオンエアの翌日、きぼうのいえのスタッフやNHKのディレクター、映画のスタッフなど総勢20名ほどが集まり、クリスマスパーティー兼打ち上げの会が開かれた。その翌朝、山本さんが自宅で目を覚ますと、美恵さんの姿がなかった。ダイニングテーブルには「もうこれ以上、魂に嘘はつけません」という書き置きと結婚指輪が残されていた。それ以来、美恵さんの行方は杳として知れないという。

なぜかつてのカリスマは、助ける側から助けられる側になったのか。妻はなぜ忽然と姿を消したのか。著者は山本さんに寄り添いながら、彼の栄光と転落の人生を追っていく。山本さんの半生、美恵さんとの出会い、きぼうのいえができるまでの道のり、壊れていく心と人間関係……。濃密な人間ドラマに引き込まれる一冊だ。

山本さんは1963年生まれ。幼い頃から繊細で、生きづらさを抱えて育ち、哲学や宗教に救いを求めた。学生時代にあるボランティア組織に参加したのをきっかけに、困っている人を助けることにのめり込む。だが仕事で挫折し(山本さんの人生は挫折の連続だ)うつになり、自宅に引きこもった。後に「きぼうのいえ」設立へとつながるビジョンを得たのはこの時である。行き場をなくし苦しむ人を救うことができれば、同じように苦しい思いをしている自分自身を救えるかもしれないと考えたのだ。

本書を読んでいると、山本雅基という人物のキャラクターに圧倒される。

異常なほどの思い込みの強さや目標に向かい猪突猛進する行動力は、ある種の成功した起業家を思わせるし、困っている人をみたら自分を投げ出しででも助けようとする姿は、宗教のはじまりのかたちを見るようでもある。

だがこの振り幅の大きさは、多くの人を惹きつける一方で、軋轢やトラブルも生んだ。その中で山本さんも美恵さんも疲弊していったのだ。著者は出奔した美恵さんの居場所を突き止め、話を聞いている。彼女の告白には、山谷で民間ホスピスを立ち上げるという前代未聞のプロジェクトに関わった当事者ならではの生々しさがある。

著者が描くのは、山本さんと美恵さんの「弱さ」だ(本書にたびたび出てくるスピリチュアリズムの話などはその典型だろう)。きぼうのいえは弱さを抱えた夫妻の危ういバランスの上に成り立っていた。だが2人の弱さがあったからこそ、きぼうのいえは生まれたと著者は言う。この指摘は炯眼である。

きぼうのいえが生み出した独特のケアの手法を、夫妻は「スライム方式」と呼ぶ。ある80代の路上生活者が入居してきたときのこと。彼には嚥下障害があり、食事の際、飲み込みがうまくできなかった。だが山本さんは、この男性が路上で日向ぼっこしているのを観察して、周囲からもらったものを食べる際はむせないことを発見した。ヘルパーの反対を押し切り、路上にちゃぶ台を置いて食べてもらうようにしたら、まったくむせずに完食したという。

きぼうのいえでは、入居者にあわせて介護のかたちを柔軟に変える。この方式は今では山谷の福祉全体に浸透しているという。高齢化や独居、貧困、福祉など、日本が直面する課題が、いち早く先鋭的なかたちで表面化しているのが山谷である。ひとくちに高齢者といっても十人十色だ。多様な背景をもった人に対して柔軟に形を変えて対応する山谷のシステムには、大きなヒントが詰まっている。

取材者とは本来、客観的であるべきで、取材行為が相手の人生に影響を与えるのは好ましくない。だが著者は取材者としての矩をこえ、山本さんの介護をしながら取材を続けた。時には下の世話までしたという。たしかに著者は一線をこえたかもしれないが、だからこそ本書を書くことができたのだろう。著者もまた弱さを抱え、困っている人をみると手を差し伸べずにはいられない人だからだ。

巻末には著者の取材ノートもおさめられている。山谷は写真に撮られるのを嫌う人が多いために、印象に残った人を忘れないようイラストで残したのだという。優しい線から著者の性格がうかがえるこのイラストにも、ぜひ目を通してほしい。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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