標準家族(世帯)という概念は、1960年代、家族構成としていちばん多かった会社員の夫と専業主婦の妻、子どもが二人の四人家族をいい、それが国の統計や税金に使われるようになったという。だがいまは、周りを見渡しても標準家族はほとんどいない。家族も様変わりした。
翻訳家でエッセイストの村井理子は、不仲だった兄の死の連絡を受ける。東北の地で一人、父子家庭を築いていた兄の死の後始末の描いた『兄の終い』(cccメディアハウス)は多くの人の共感を呼んだ。
その本の中でも、彼女が少し変わった家族のもとで生きてきたことが明かされていたが、そこに真っ向から取り組んだエッセイが『家族』(亜紀書房)だ。一家が住んだ家の歴史とともに記憶を辿る。
昭和40年代。静岡の焼津の古いアパートに暮らすのは30代前半の両親と兄と自分。形だけは標準家族である。だが兄はひどくやんちゃで周りに迷惑ばかりかけており、妹である自分は心臓病。両親の仕事はジャズ喫茶の経営だが、マスターと呼ばれる気難しい父は客に好かれていなかった。
現代なら兄はADHDという診断を受けていたかもしれないほど、優柔不断でわがままだった。それが嫌さに、妹は親の顔を伺う子になっていく。
娘は母を理解できず、兄を嫌い、父を慕った。だが慕った父は早世する。兄は最後まで母を頼ったのに、いまわの際に母を捨てる。そして兄の急逝。
確かに少し変わった家族ではあるが、特殊というほどではないだろう。多分、どの家族も少し変わっている。だから愛しいし憎しみも深い。胸に迫る一冊であった。
特別な家族といえば皇族だ。『旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて』(中央公論新社)は上皇陛下の四従兄(高祖父母が兄弟姉妹)にあたる第二十四代伏見宮当主で、今年九十歳を迎えた伏見博明のオーラルヒストリーである。
伏見家は代々親王宣下を受ける世襲四親王家で最も古く、南北朝時代より継承されている。伏見博明は上皇陛下とは年も近かったため、幼少のころから現在まで深い交流が続いている。
皇族時代は「家族」のない生活だったと語っている。幼稚園の頃までは女のきょうだいと子ども部屋で生活していたが、学習院初等科に入学と同時に一人別の館に移され、食事も一人。宮家の男子はそういう暮らしをして、天皇に仕える心構えなど帝王学を叩きこまれた。例外は祖父である博恭との夕食だが、作法のしつけが厳しく非常に辛かったそうだ。
戦争後、旧皇族の十一宮家は皇籍離脱。現在の皇族は天皇とその弟家族である秋篠宮、上皇の弟である常陸宮、昭和天皇の弟の妻や子どもたちである三笠宮と高円宮だけである。皇位継承問題は棚上げにされたままだ。かつて皇族だった記憶を残している人がいる今、なんらかの手立てができる最後の機会なのではないか。(小説新潮4月号)
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