「不要不急か――不要不急です」。
得体のしれないことばに、わたしたちは振りまわされてきた。そんなことばを2年間使いつづけている日本医師会、その建物そばの書店「BOOKS青いカバ」の店長・小国貴司さんは、2020年3月、つぶやいていた。
それからおよそ2年、東京の古本屋では何が起きていたのか。
ライターの橋本倫史(はしもとともふみ)は、10軒の古本屋に3日間ずつ密着し、そこに流れる時間を、東京の風景を、生活を記録する。
この本は、いまの日本で、東京で、生きて、仕事をする、ありとあらゆる人がお守りとして大切に読みすすめるべき一冊である。
わたしにとっての橋本は、2007年に彼が創刊したリトルマガジン『HB』に始まる。「高田馬場から考える」を掲げた同誌の創刊号を大阪のジュンク堂書店で見かけていらい、新鮮な視点を持ちながら、なつかしさを感じさせる稀有な書き手として、ずっと憧れている。
類書がありそうで、じつは、まったくない本書は、橋本倫史という人物の静かで熱く堅い意志の結晶である。
古書店を訪ね歩く本は、岡崎武志、荻原魚雷、田中眞澄、といった魅力にあふれた先達がいる。そのお店は、どのジャンルに強いのか。どんな品揃えを特徴としていて、店主の個性は、集う客は、どんな色を見せているのか。古本探しだけではなく、店としての古本屋の魅力を伝える人たちは、これまでも、今も多くのファンを集めている。橋本によるこの本も、もちろんそれぞれのお店の魅力をあまりあるほど伝えている。
それぞれのお店の棚に、店先にどんな本が置いてあるのか、そういった醍醐味を伝えるところから、著者は少し視線をズラしている。
古本屋って言うと文化系のイメージがあると思うんですけど、意外と力仕事だし、市場に入ってみたら体育会系的なイメージで、部活っぽさもあります。中学・高校のときは部活の雰囲気が苦手で、『皆で協力して頑張ろう!』みたいな感じが嫌だったから、高校のときは帰宅部だったんです。でも、市場に入って、やっと変わりました。いろんな年代の人がいるってことも大きいと思うんですけど、皆で同じ仕事をやるのって面白いんだなって思えるようになったんです(pp.271)
東京の武蔵小金井にある「古書みすみ」の店主・深澤実咲さんのことばを引きだすように、橋本は、〈職業としての古本屋〉にフォーカスする。彼ら彼女たちが、どんな思いで、どのような道をたどって、古書を買いとり、並べる、その職にたどりついたのか?
正式には「古書籍商」と呼ばれる職業を、日日の生業としてのみならず「古本屋の仕事が楽しくて仕方がない」ものとして満喫しているのか?
橋本の視線は、どこまでもやさしく、どこまでも冷静に、古本屋を見つめている。不要不急とされたり、「コロナの時代になって、本屋を続けるのは一層厳しい状況になったと思うんです」(pp.231)と言われたりする。
見知らぬものに出会い、「街の知恵」を通じて少しずつなじんでゆく。そんな経験自体が世の中から消え去りつつある(pp.243)
「構造が変わってしまったんだと思わざるをえない」(pp.242)時代のなかで、しかし、「古本の仕事って地味に面白いんです。もう、本を触ってるだけで面白いんですよ」(pp.181)とコクテイル書房の店主・狩野俊さんに言わせる仕事がある。
そんな「地味に面白い」ありさまを、これほどまでに細かく描けたのは、橋本の「ストリートワイズ」(街の知恵)の賜物であり、そのことばをはじめての著作に掲げた故・坪内祐三仕込みの「自分の好み」を大切にしてきたからだろう。
街を歩き、人と会う。あたりまえのいとなみが、「不要不急」のひとことで根こそぎ否定され、「自粛」というあいまいなくくりで封じられる。時代の空気に正面からあらがうのではなく、淡々と、しかし着実に、ひとりひとりの、ひとつひとつの生きざまを記録するところに橋本倫史の凄みがある。
凄玉であるゆえんは、彼の撮った写真にもあらわれている。イメージではなく、リアルな古本屋の姿を、彼の写真は、たしかにとらえている。カバーをとった本体も合わせて、できるかぎり、この本を、書店の棚から、平台から手にとって、ためつすがめつ眺めてもらいたい。
本は電子書籍で事足りる、買うのはもちろんネットであり、古書はマーケットプレイスに頼る。橋本のこの本は、安易なやりかたに流れがちなわたしの怠惰を戒める。そればかりか、いまこそ街に出て、そこでしか身につけられない知恵に触れたい、そう思わせてくれる。
『東京の古本屋』を通じて、橋本がわたしたちに授けるレッスンは、この時代を生きる、よすがとなり、あすを照らす光となる。
橋本のはじめての著作であり、「地方創生」なる、おおげさなことばではなく、その土地に生きる人たちの息吹が聞こえる。
聞き役としての橋本の静かな凄さを満喫できる。
下記のサイトでの対談もぜひご覧いただきたい。
https://www.webdoku.jp/column/hashimoto/2021/1111_092005.html
読んでいるうちに、宇田智子の本も読みたくなり、芋づる式に読書は続く・・・。