「死人に口なし」というが、実は死体は雄弁だ。どんなに巧妙な殺人や、事故に偽装しようとした自殺であっても、死体は嘘をつかない。ドラマや小説の中で法医学者が遺体にメスを入れて死因を調べ、殺人事件を解決に導く様子は見慣れたものだ。
だが、死者の声に専門家が耳をしっかり傾ける場面は非常に限られている。医療機関以外での死亡は、「異状死」に分類される。2020年には国内で17万人ほどが異状死したが、大半は解剖されない。
本書は、海外では8割近い国もある解剖率が1割程度にとどまる日本の現実や、国内でも死ぬ場所によって解剖されるかどうかが決まる地域間格差を指摘する。
当事者である法医学者らへの取材を重ね、死因を究明できない構造問題に光を当てる。浮かび上がるのは日本にありがちな縦割り行政の弊害だ。
解剖といっても、犯罪の可能性が高い場合の司法解剖は警察、犯罪性が低い場合の行政解剖は自治体と担い手が違う。司法解剖を担当する法医解剖医は大学の教授や准教授などだが、大学は文部科学省の管轄だ。本来ならば専門機関を設けて情報を一元化すべきだろうが、各省庁の壁が高く、議論は進まない。
さらに、異状死体の犯罪性を判断する検視官や、犯罪性なしとの判断後に死因を確認する警察医(地域の開業医など)は、専門知識が十分とはいえない。だが、彼らが事故死、病死と判断すれば、死体はそのまま火葬されてしまう。警察の都合で解剖の必要性が判断され、所見に関する忖度(そんたく)を解剖医に迫ることさえあるという内実には言葉を失う。
変死体の新型コロナ感染にも言及する。変死事案でのコロナ陽性者の問題をニュースで目にしたことがある人もいるだろう。コロナ禍での孤独死や変死は、死因がコロナ感染か、ほかの疾病か、事件や事故に巻き込まれたのか、はっきりしないことが多い。PCR検査で陽性が判明した場合、外見から事件性が疑われなければ解剖が行われず、犯罪を見逃す可能性もある。
因果関係がわからないのは、このような場合に死因を明らかにする仕組みがそもそもないからだ。コロナ禍で制度の不備が広く露呈したと著者は説く。
解剖は死者の無念をくみ取る行為であり、尊厳を守る行為でもある。生きる者への教訓も引き出す。とはいえ、無闇に解剖すればいいという問題でもない。死ぬ地域によっては遺族に詳しい説明がされぬまま解剖が行われ、通常は自治体の負担する解剖費用が遺族に請求されることもある。全国でトップの解剖件数と解剖率を誇る神奈川県だ。
それもたった1人の医師が全体の8割に相当する年4000件を担当する。1日に10件以上対応しないとこなせない数だ。なぜこうした異常事態がまかり通っているのか。当人へのインタビューにも成功しており、このパートだけでも本書を読む価値がある。
解剖されないことによって誰かに迷惑をかけることもあれば、解剖されることによって残された家族に負担をかけることもある。人生100年時代の今、長い老後をどう生きるかは多くの人にとっての悩みだが、どうやら自らの死体の心配までしなければいけないようだ。
※週刊東洋経済 2021年12月11日号