遍路については、恥ずかしながらたいして知識がなかった。なにしろこの本を読むまで、そば打ちと同じように、「仕事をリタイアした男性が手を出しがちなもの」くらいにしか思っていなかったのだから。
弘法大師(空海)ゆかりの四国八十八箇所の札所を回る遍路は、現在年間20万人ほどいるという。ほとんどはバスや車を利用して回るカジュアルなお遍路さんだが、中には遍路で生活している人もいる。草遍路やプロ遍路、生涯遍路などと呼ばれる人々だ。
著者は女性問題をきっかけに睡眠薬依存になり、依存症を克服するための運動療法の一環として遍路に出ようと思い立った。もうひとつ著者の興味を引いたのは、地図を繰り返し眺めるうちに、遍路道沿いに路地が集中していることに気づいたことだった(著者は中上健次にならって被差別部落を「路地」と呼ぶ)。著者にとって路地の探究はライフワークである。遍路になって訪ねてみれば、また違った路地の姿がみえてくるのではないかと考えた。
本書は著者が5年をかけて遍路を続けた記録である。旅の空に現代の草遍路を探し、時に托鉢を共にし、また道々で路地の歴史をたどった。巡礼を通してみえてくるのは、「聖」と「賤」が織りなすこの土地独特のネットワークである。
そもそも遍路はいつごろはじまったのか。弘法大師が42歳の厄年だった815年に四国霊場を開いたのが始まりとされるが、これはあくまで伝説で、実際には四国遍路がいつごろ成立したのかよくわかっていないという。いつからか修行僧たちが空海の足跡を辿るようになり、室町時代にはこの動きが庶民にまで広がった。江戸初期の1687年には巡礼者向けのいわゆるガイドブックが出版されており、この時にほぼ現代の形が確立されたらしい。
いまでこそ車やバスを使えば10日ほどで回れる巡礼も、昔は徒歩で二、三ヶ月かかった。戦前まではハンセン病などの病気や障害を抱えた人、口減らしなどを理由に遍路に出される人も多かったという。彼らは遍路で生きていくしかなかった。二、三ヶ月どころか、死ぬまで巡礼を続けながら、人々の施しを受け、命をつなぐしかなかったのである。
こうした人々のことをかつては「辺土(へんど)」と呼んだ。現在も四国では「乞食」を指す言葉として残っているという。辺土は昭和30年頃までは多くみられたが、社会保障制度の拡充とともに姿を消した。だがいくら社会保障制度が整備されても、そこからこぼれ落ちたり逸脱したりする者はいつの時代にも存在する。現代の草遍路もそうした人々だ。
それにしても、遍路というのはなんと矛盾した存在であることか。
彼らは人々から差別された。昭和30年代くらいまでの子供たちは遍路が通りかかるとよく石を投げたという。親の言うことをきかない子供は「へんどに連れて行ってもらうぞ」と脅かされたりもした。
その一方で、遍路は人々から畏敬の目でみられる存在でもあった。経文を唱えながら回る姿に人々は弘法大師の姿を重ねた。四国にはいまでも遍路に一夜の宿を提供する善根宿や、食べ物や飲み物などをふるまう「お接待」と呼ばれる風習がある。
こうした遍路がはらむ矛盾を象徴するような事件がある。「幸月事件」である。幸月は有名な遍路だった。全身白ずくめに、ふさふさとした白髪と白髭をたくわえ、黒光りする特注品の菅笠をかぶり、自作した錫杖をじゃらんじゃらんと鳴らしながら歩いた。腰には道端で死んでいたタヌキをタヌキ汁にして食べた後の皮を巻き、恵比寿神を思わせるような丸顔に天真爛漫な笑顔を浮かべ、山頭火のような句を詠んだ。異様な風貌は、遍路姿を見慣れている地元の人すら只者ではないと唸らせるほどだったという。
これだけキャラが立っていれば、メディアも放っておかない。雑誌に取り上げられ、やがてNHKのドキュメンタリー番組で大々的に取り上げられた。そして、お縄となった。
幸月はかつて大阪の西成で知人を刺して逃走し、指名手配されていたのだ。番組に本名で出演したことから身元が割れたのである。逮捕後は幸月への激しいバッシングが起きた。だが一方で興味深かったのは、支援に乗り出した地元の人々もいたことだ。もともと四国遍路は、追い詰められた人々が最後に頼るセーフティーネットとして機能してきたという歴史がある。細々とではあるが、いまもその伝統が生きていることをこの事件は教えてくれる。
著者は事件を伝える新聞記事をきっかけに、草遍路の存在に興味を持った。
実は「草遍路」は幸月の造語である。「草を住処とし、草に還る」という意味だ。遍路になる人はさまざまな事情を抱えている。遍路どうしで話をする時も、その人の背景を尋ねることはタブーだという。旅に生きる草遍路ともなれば、なおさらだろう。
本書は著者の遍路体験と、現代の草遍路へのインタビュー、そして路地の歴史から構成されている。そこから浮かび上がるのは、「聖」と「賎」が複雑に絡み合ったこの地の歴史である。ひとくちに「聖」と「賎」といってもわかりやすく色分けできるわけではない。例えば昔は遍路が体制側から取締りの対象とされたこともあった。四国の中でも特に取締りが厳しかったのは土佐藩・高知県だが、この時「遍路狩り」に駆り出されたのは、路地の人々だった。
路地もまたひとくくりにはできない。ある古老は、同じ路地でも職業グループが違うと昔から交流がなかったと振り返る。身分が低い者どうしを反目させるように仕向けられていたのかもしれない。このように複雑に絡み合った歴史を、著者は丁寧に拾いあげていく。
本書の白眉はある草遍路との出会いである。遍路として旅を続ける中で、著者は「ヒロユキ」という草遍路と出会った。このヒロユキの半生がつらすぎる。徹底的に「負け続けの人生」なのである。彼は草遍路になるしか道がなかった。だが意外なことに、遍路になって初めて、ヒロユキは自らの人生を肯定できるようになったという。なぜヒロユキはそんな境地に達することができたのか。その理由はぜひ本書を読んでほしい。
現代は「すべり台社会」だといわれる。いったん社会のすべり台からすべり落ちてしまった人は二度と這い上がれないとされるが、本当にそうだろうか。
著者は本書で、現代の日本にひっそりと息づくセーフティーネットを浮かび上がらせた。もはや社会にアジール(聖域、避難所)なんてないと考える人こそ、この本を手にとってほしい。人生に絶望した者の魂を浄化し、帰る場所を無くした人が再び自分を取り戻す。そんな奇跡が起きる場所があることに、きっと驚くはずだ。