2020年の正月があけてしばらくしてから、藤田宜永さん逝去の報が届いた。私が「初めまして」の挨拶してからほぼ30年が経っているが、いつもスタイリッシュで若々しい姿しか記憶になかったので享年69という年齢に少し驚いた。ガンを患っていたが、少し前に薬が劇的に効いて寛解したと久しぶりのパーティ会場で本人から聞いていたのに、やはりダメだったのかと残念でたまらなかった。
だがそれより先に心を過ったのは「小池さんは大丈夫だろうか」ということだ。
藤田宜永と小池真理子という二人の直木賞作家が夫婦であることは広く知られている。軽井沢に住み、知的な香りを振りまく美男美女を私は遠目から眩しく見ていた。近づき難いと思いきや、ふたりとも気さくで会話が楽しい。文学賞の授賞式などでふたり一緒にいる姿は誇張ではなくスポットが当たっているようにカッコよく、業界関係者の憧れであった。
ありきたりな形容詞でくくれない「ふたり」であったのに、一人残されたら…。その寂しさはいかばかりだろう。
ワシントン大学のホームズらが1968年に開発したストレスのランキングとされる社会的再適応評価尺度で第一位は「伴侶の死」である。いつかは来るものとわかっていても、二人の生活が完成されていればいるだけ、喪失感は大きいといわれている。ベターハーフが欠ける辛さは、経験していない私には想像がつかない。
藤田さんが亡くなってから5か月余りたったころ、朝日新聞の土曜版別刷「be」に小池さんのエッセイ連載がはじまった。もう?という気持ちとやっぱり!という気持ちが拮抗する。連載中、読者の共感とその文章の美しさから大きな話題を呼んでいた。私も欠かさず読んでいたひとりだ。
初回のタイトルは「可笑しくて泣いていた」だと記憶している。(書籍ではタイトルが違っていたが、私は連載時の方が好きだ)自分がいなくなった後の妻の姿を面白おかしく語っていた夫を思い出し、それと同じことをしている自分の姿に笑いながら嗚咽し、さらにその姿を冷静に観察している。作家だ、と思った。気が付くと涙が出ていた。藤田さんを知っている人は、彼の声が再生され、さらに懐かしく思い出すだろう。
病気になって藤田さんは一切の仕事から背を向けたという。闘病ならぬ「逃病」。求めていたのは、死に向かう際の、心の安寧だけだったと小池さんは記す。
だが藤田さんが亡くなったあと、録画してあった番組のひとつに新型コロナウィルス肺炎の時事番組があったという。藤田さんが他界する10日ほど前の番組で、パンデミックが起こるかどうかの瀬戸際、その脅威がそれほど広まっていない時に藤田さん自身が録画した。彼は小説の役に立つからとノンフィクション系の番組を録りためていたそうだが、やはり「逃病」に徹し切ってはおらず、彼もまた作家の業を断ち切れなかったのだ。
本書では「悔やむ」とタイトルされているが、連載時は確か「ゆるんだパンツと犬のお守り」といった回が好きだ。小池さんらしいなあと微笑みながら読んでいたのに、最後は涙が止まらなくなった。頼まれていたことを後回しにした小池さんの後悔と、知らずにいた藤田さんの心配りがそれぞれの姿に重なる。
自然の中に住まい、身近に生命の命を感じながら小説を描いていたふたりだから、「かたわれ」と呼ぶ一つの命が亡くなったいま、残された命が救われるのいつだろう。時間によって気持ちが上書きされても、藤田さんのことを忘れることはないだろうけど、次に小池さんがどんな小説を描くのか、とても気になる。
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藤田さんの自伝的小説。小池さんの解説を読むために文庫を買い直した。
『月夜の森の梟』の中に出てくる藤田さんの傍らで完成させた書き下ろし小説。もう一度読んでみようと思っている。