異質なものを掛け合わせると新しい何かが生まれることがある。「いちご大福」はその好例だ。では「戦争」と「バスタオル」はどうか。この異質な言葉を掛け合わせた先に現れるものは何だろう。
著者の安田浩一は長年、差別の現場を取材し、「ヘイトスピーチ」という言葉を世に広めるきっかけをつくった硬派のジャーナリスト。金井真紀は、抜群の観察力とユニークな視点で世界の多様性を伝えてきた文筆家・イラストレーター。一見、対照的な2人だが、実は大の「風呂好き」という共通点があった。
ときどき待ち合わせて銭湯に行き、湯上がりにビールを飲む。そんな「銭湯友だち」の2人が「風呂旅」に出た。旅先で風呂につかりその土地の人と社会、歴史を見つめると、湯けむりの向こうには、思わぬ光景が立ち現れる。それは、私たちが目を背けてしまいがちな、加害者としての日本の姿だった。
世間では分断を煽り、歴史を捻じ曲げる本が売れている。ならば、そんな風潮に対抗する本を作ろうと盛り上がり、出来上がったのが本書だ。
最初に訪れたのはタイ。かつての「泰緬(たいめん)鉄道」に揺られ、2人はまず、中部の街カンチャナブリーに向かった。泰緬鉄道とはインド侵攻作戦のために日本軍が敷設した鉄道だ。
過酷な工事や日本兵による虐待などで約1万2000人の捕虜と数万人(実数不明)のアジア人労働者の命が失われた歴史があり、「死の鉄道」と呼ばれることが多い。折しもタイではこの「死の鉄道」をユネスコ世界文化遺産に登録する動きが本格化していた。
そして、カンチャナブリーからバスで約3時間のヒンダット温泉は、日本軍が保養地として整備した温泉だ。ジャングルの濃い緑の中、渓流沿いの露天風呂につかり、2人は現地の人々と言葉を交わす。
温泉は人と人との垣根をなくす。湯船の中で交わされる会話に、よそから借りてきたような言葉や、虚勢を張るのは似合わない。そもそも風呂では誰もが無防備だ。言葉の武装も解除される。だから湯船の中では、初対面でも気軽に話ができるのかもしれない。「お風呂は究極の非武装」という安田の言葉は至言だ。
タイ、沖縄、韓国でも、風呂を通して「あの戦争」が見えてきた。釜山の温泉で話しかけたおばあさんは、金井が日本人だとわかると、「むかし韓国は日本にむちゃくちゃにされた。ひどいことをしたら謝るのが当たり前ではないか」と言った。だが決して険悪な雰囲気にはならず、それどころか、自分の歩んできた人生について語ってくれた。これも風呂ならではの非武装の力かもしれない。
その後、コロナ禍で風呂をめぐる旅は国内限定となったが、訪れた神奈川県寒川町と瀬戸内海の大久野島では、いずれも毒ガス製造の歴史を目の当たりにする。
日中戦争中、日本軍は大量の毒ガス兵器を中国大陸に持ち込んだが、敗戦後はどさくさにまぎれ、それらを置いて逃げた。中国では今世紀に入ってからも、遺棄された毒ガスによる被害が出ている。加害の歴史は続いているのだ。
「戦争」と「バスタオル」。異質な要素を掛け合わせた先に見えるのは、過去を直視することを避けてきた私たち自身の姿かもしれない。