本書は米国における今世紀最初の「シリアルキラー」による連続殺人事件を追ったノンフィクションだ。その事件は、1件の殺人を除いてすべてが未解決に終わるという、FBI(米連邦捜査局)にとって不名誉なものでもあった。
発端となったのはサマンサ・コーニグ誘拐殺害事件。2012年2月1日の夜、アラスカ州のアンカレッジという小さな町のコーヒースタンドでアルバイトをしていた18歳の女子高校生、サマンサが何者かに誘拐された。
この事件に関しては、初動からミスが続いた。サマンサが不良少女であったことや、彼女の父親がドラッグの売人だったことから、警察は真剣に捜査しようとしなかった。それに異を唱えたのが、FBIアンカレッジ支部のペイン捜査官だ。
彼の粘り強い働きかけや、犯人からの身代金要求もあり、本格的な捜査が開始される。そうして、イスラエル・キーズという男が逮捕された。キーズの自供から、サマンサは誘拐後、2度レイプされた後に絞殺されたと判明。おぞましい扱いを受けた遺体はバラバラにされ湖に捨てられた。
だが、犯人逮捕で一件落着、とはならない。捜査官たちは彼の猟奇性、落ち着きぶり、緻密な計画性と実行能力から、これが初犯ではなく、「間違いなく高知能のサイコパスでシリアルキラーだ」と考える。
事件はFBIの管轄となり、ペイン捜査官やアンカレッジ署のベル刑事たちの合同チームと、キーズとの知的な駆け引きが始まる。つばぜりあいのような尋問で、キーズは数人の殺害を認めた。
捜査官たちは強引に捜査に割り込んできた連邦検事に悩まされるが、キーズはそんな捜査チームと検察側との不協和音さえ巧みに利用して取調室を支配し、捜査を翻弄し続けた。FBIの取り調べの様子はインターネット上のアーカイブで閲覧できるそうだが、本書に描かれたキーズは『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターのような不気味さを漂わせている。
本書では、キーズの生い立ちに紙幅が多く割かれている。彼の両親は、文明を否定し、カルトにのめり込む白人至上主義者だったという。一家は山深い森の中でテント生活をしていた。電気もガスも水道もなく、学校にも通わない。子どもたちも労働力として生活を支えた。父は子どもたちを虐待していたようだ。
長じて軍に入隊したキーズは優秀な兵士となったが、一方で動物を虐待して殺すなど異常な面もあった。しかし、何が彼をシリアルキラーに仕立てたのか。サイコパスは遺伝的な要因が強いというが、全員がシリアルキラーになるわけではないのだ。
キーズが収監先で自殺したため、犠牲者が何人なのかも、はっきりしていない。死の間際に彼は自らの血で12個のドクロを描いたというが、これが犠牲者の数なのかもわからない。だが、キーズが過去に滞在した街では不審な失踪事件が相次いでいたという。
本書は、事件に関わった多くの特別捜査官との何百時間にもおよぶインタビューに基づいて書かれた。現実とは信じがたい事件が題材ということもあってか、訳者もいうように、ミステリー小説のような印象を抱かせる一冊だ。
※週刊東洋経済 2021年9月18日号