1967年10月8日、ベトナム戦争反対を叫び佐藤栄作総理の南ベトナム訪問を阻止せんとする全学連と機動隊とが羽田・弁天橋で激突した。
当時18歳の京都大学一年生、山﨑博昭さんがこの争いの中で命を落とす。死因は学生たちが奪った装甲車に轢かれたとも、機動隊に殴られたからとも言われている。
全共闘世代の一まわり下「しらけ世代」である代島治彦監督はこの闘争をめぐって山﨑さんの家族、友人、指導者たち14人にインタビューし「きみが死んだあとで」という3時間20分のドキュメンタリー映画を製作した。
本書は映画に収録できなかったインタビューと、この時代に重なる監督自身の記憶を書き下ろしている。終章では憧れの人であったという元日大全共闘議長・秋田明大氏のインタビューも加えられた。
山﨑さんが亡くなって54年。彼が闘争に参加した動機の大部分は、大阪府立大手前高校の同級生の影響だったと思われる。向千衣子さんはいまだに闘志に満ちた語りっぷりだし、中核派に誘った北本修二さんは「元大阪市長・橋下徹に勝ち続けた」弁護士として有名になった。『僕って何』で芥川賞を受賞した三田誠広さんは、同級生をモデルにした『高校時代』という小説を著している。
彼の死をきっかけに運動から離れた人、駆り立てられてのめり込んでいった人、何十年も引きずって生きてきた人、と話は続く。彼らは皆70歳を超え、人生の“総括”にかかり始めているようだ。代島監督がこの映画を作ったのは絶妙のタイミングだったのではないだろうか。
私は代島監督と同い年で、思えば全共闘世代の背中を見ながら生きてきた。越えられない山でもあったし、彼らのせいで割りを喰ったような気もしていた。共感する部分は多い。
ミャンマーのクーデターで市民が闘っている姿は遠い世界のようだ。だが日本にもこういう時代があったのだと思い出して欲しいと願う。(週刊新潮8/5号より転載)
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