長靴の形をしているのはイタリアだけではない。米国のルイジアナ州もそうである。だが、現在のルイジアナ州の「靴底」はボロボロに破れ擦り切れている。靴底にあたる地域にはかつて広大な湿地帯があったが、海に変わってしまったのだ。
同州では1932年から2000年までの間に約4920平方キロメートルが失われたという(これは福岡県の面積約4987平方キロメートルに匹敵する)。ここは地球上で最も急速に浸食が進む地域の1つである。
ダム開発による河口の堆積物の減少、石油掘削による地盤沈下、気候変動による海面上昇など、原因は複合的で1つに絞ることはできない。だが確かなこともある。失われたものはもう二度と元には戻らないということだ。
「彼の背後には四・五メートルほどの高さのイエス・キリスト像が立っている。殉教者のやせ細った体は傾き、その腕は水の広がりに向かって伸びていた。キリスト像の隣には、枯れたサイプレスの木がそびえていた。空洞になったその枝は、この男の犠牲的な身ぶりに酷似している。この枯れ枝もまた、自己をむき出しにして、死へと至ったのだ。その根は塩に浸かっていた」
沈みゆくジャン・チャールズ島(ルイジアナ州)の描写は、まるで終末の光景のようだ。
ルイジアナ州以外にも、巨大ハリケーンに襲われたスタテンアイランド(ニューヨーク州)、絶え間なく洪水に襲われるペンサコーラ(フロリダ州)などを著者は訪ね歩いた。そして、脆弱な土地で暮らす人々の話に耳を傾ける。
住民の多くは貧しい生活を送っているが、水辺の土地でしか見ることのできない美しい景色を愛していた。だがその美しい景色は今や様変わりしてしまっている。
これらの土地を訪ねるようになる前、著者はたまたま読んだ論考の中で、印象的な言葉に出合ったという。「時には錠よりも先に鍵が到来することがある」。この言葉を、著者は周辺環境に注意を促すメッセージとして受け止めた。
何かとんでもないことが起きようとしている。それが何なのかわからない。だが今目の前で起きている変化をつぶさに観察すれば、この先の行き止まりを乗り越える助けになるかもしれない……。著者は「新しい鍵」を得ようと沈みゆく土地を歩き、動植物の保全や湿地の再生に取り組む人々にも会いに出かけた。
本書を発表した時、著者はほとんど無名の書き手だったという。だが、発表されるやいなや「ニューヨーク・タイムズ」紙などで激賞され、19年のピュリッツァー賞・一般ノンフィクション部門の最終候補作となった。
気候変動は意見が割れやすいテーマだ。米国には前大統領のように地球温暖化を信じない人々も多いという。陰謀論を信じる者にいくら理を説いても、頑なな考えを変えさせるのは難しいだろう。
だが本書は、そうした人々の心にも届く言葉で書かれている。ジャーナリズムの文体を用いるのではなく、水辺の暮らしや美しい風景の記憶が詩情あふれる文章で綴られているのだ。
この先にどんな未来が待っているのか誰もわからない。だが何かが起きつつあることだけは確かだ。本書も「新しい鍵」の1つかもしれない。
※週刊東洋経済 2021年7月31日号