世界最大の「コロナ敗戦国」になったアメリカ。新型コロナウイルスの感染者数は3440万人。死亡者数は61万人を超えた。これは第一次世界大戦と第二次世界大戦、そしてベトナム戦争で亡くなった死者の合計よりも多い。CDC(疾病予防管理センター)やトランプ前大統領が楽観的だったこともあり、初期対応がまずかったのは間違いない。しかしアメリカは新型コロナウイルスに対して無策だったのか?実はそうではなかったのだ。
アメリカで感染者が出始めた頃に、パンデミックを予期し、対策を立案して、コロナ禍を戦った知られざる英雄たちがいた。そんな彼らの活躍と、アメリカのコロナ対応の失敗を描いた物語が『最悪の予感 パンデミックとの戦い』だ。著者は『マネー・ボール』や『世紀の空売り』など、数々の傑作ノンフィクションを生み出してきたマイケル・ルイス。
マイケル・ルイスにハズレなし!今作も読み始めたらすぐに引き込まれてしまい、一気に読んでしまった。彼の作品は大きなテーマの中で、ある個人に焦点を当てて物語を紡いでいるものが多い。たとえば『マネー・ボール』ではセイバーメトリクスと呼ばれる統計手法によってチームを強豪へと導いていったビリー・ビーンを中心に物語が紡がれていた。
本作では新型コロナウイルスによるパンデミックという大きなテーマの中で、2人の人物を中心に物語が描かれている。そのうちの一人がカーター・メシャーだ。「ウルヴァリンズ」と呼ばれるグループのリーダーである。「ウルヴァリンズ」はブッシュ政権下でパンデミック対策を策定したカーターを中心とした7名の医師グループである。
パンデミックが広がっていく中で「ウルヴァリンズ」は人知れず大きな役割を果たした。彼らが行っていた電話会議には、様々な人が参加するようになり、その中にはアメリカ国立アレルギー感染症研究所のトニー・ファウチをはじめ、トランプ政権の現役職員や、アメリカの要職についている人たちも参加していたという。
本書を読んでまず驚いたのが、コロナ対策においてアメリカでは中心的な役割を果たしていると思っていたCDCがまったく機能していなかったことだ。官僚的で融通が利かず、あとになって非難されるような行動は決してとらない。それでおいて、あとから健康危機に関する学術論文を発表し、自らの手柄にして、世間からの評価には気を配る。
理屈では、CDCはアメリカの感染症管理システムの頂点に位置するのに、実際には、社会的権力を持たない人物に政治的リスクを押し付けるシステムと化していたという。CDCは「疾病対策」という名前こそついているものの、実際には患者を研究論文の対象としか見ていない官僚組織だったのだ。
また、コロナ以前からアメリカがパンデミックを予期し、事前に対策を練っていたということにも驚いた。ジョン・バリー著の『グレート・インフルエンザ』を読んだジョージ・W・ブッシュ大統領が国の感染症対策に疑問を呈したことから、ホワイトハウスが自ら疾病対策の策定に乗り出していた。
そこで活躍したのがカーター・メシャーとリチャード・ハチェットである。どちらも「ウルヴァリンズ」のメンバーだ。彼らが作成したプランはワクチン接種までの時間稼ぎに、感染症の性質や人々の行動に応じて、戦略を組み合わせるというものだ。それぞれの戦略は、穴だらけのスライスチーズのようなもの。じゅうぶんな枚数のスライスを適切に並べれば、穴をふさぐことができる。彼らが考案した戦略はのちにCDCが名称を勝手に変更し、自らが考案した戦略として発表した。盗人猛々しいとはまさにこのことだ。
しかし、そのとき策定された戦略が今回のパンデミックで活用されることはなかった。ブッシュからオバマ、そしてトランプ政権にも引き継がれていたのにだ。原因はトランプ政権のジョン・ボルトンが生物学的なリスクに対応するチームのメンバーを全員、解雇又は降格処分としたことにある。アメリカのコロナ対策は失敗した。本書を読むといかに初期対応が重要かということがわかる。歴史にIfはないけれど、彼らが政権内に残っていたら、アメリカの被害はもっと少なくて済んだのかもしれない。
本書は「失敗」の物語である。なので教訓となるものがとても多い。失敗の原因を調べることで、次に同じ失敗を繰り返さなければいいのだ。「危機に直面した場合、あらかじめ持っているボタンしか押せません」とリチャードは言う。日本では感染が再拡大している。ワクチン接種は進んでいるが、緊急事態宣言は有名無実化している。それ以外のボタンがいったい日本には残っているのだろうか?穴だらけのスライスチーズをもっと重ねる必要がある気がしてならない。
最後に、唐突な感は否めないが、カーターの言葉がとても心に響いたので、いくつか紹介してレビューを終えようと思う。
「いろんな事件の詳細を探っていくと、悪いのは人ではなくシステムだ、とわかります。人間の注意力に依存しているシステムは、うまくいきません」
「人類学者が各地の村をめぐるとき、二回目の訪問が極めて重要だと教わりました。二回目で初めて本気度が伝わる。二回行かないと、たいてい、村人たちの信頼を得られないそうです」
「人は押し付けられたものは学ばない。みずからの欲求や必要性に迫られ、自分の意志で探り当てたのものを習得する」
一気読み必死!マイケル・ルイス最新作をぜひご堪能あれ!