チャールズ・ラング・フリーア。知る人ぞ知る世界有数の日本美術コレクターだ。大富豪ロックフェラーとならぶ美術蒐集家で、世界有数の東アジア美術を収蔵する美術館が彼の名を冠して建てられている。
なかでも日本美術への思い入れが強く、数多くの日本美術をあつめている。コレクションは遺言にもとづき米国連邦政府に寄贈され、今ではワシントンDCのフリーア美術館としてアジア文化を紹介する。そんな日米を代表する文化人にも限らず、フリーアがこれまで日本で紹介される機会は少なく、いち外国人コレクターと扱われるのみだった。
本書は、この世界的日本美術コレクターの日本初の評伝である。フリーア美術館の全面協力によって、はじめて彼の生い立ち、資金源、蒐集ルート、アート交渉術が浮かび上がってくる。本書ではじめて明らかになる事実も多く、日本美術史や日米政治史の文献として貴重な資料になるだろう。
フリーアが集めたコレクションで有名なのは、俵屋宗達をはじめとした琳派美術、狩野派美術、葛飾北斎などの肉筆浮世絵だ。中でも琳派美術の良さを見いだし、世界的に広めたのがフリーアといわれている。
今では信じられないことだが、京都建仁寺「風神雷神図屏風」で有名な俵屋宗達は、日本では無名に等しかった。世界に日本美術を紹介したアーネスト・フェノロサも、宗達を当時「無名」と評しており、フリーアが琳派を蒐集して以降やっと注目を集めたとしている。
フリーアが蒐集した俵屋宗達の「松島図屏風」(本書の表紙絵)「雲龍図屏風」は今では世界的な名声を得ているが、フリーアはこれをたった5000ドルで購入した(現在価値で数千万円)。日本にあれば間違いなく国宝級の名作であり、今では何十倍もの価値があろう。フリーアの先見的な鑑定眼を物語るコレクションである。普遍的な美の追求というフリーアの審美眼は地域・時代をも超えていた。
独自の審美眼で唯一無二のコレクションを築きあげたフリーアだが、美術教育は一切受けていない。貧しい家庭で育ったフリーアは、中学を中退し働き始め、18歳の時に鉄道会社に就職。その後、鉄道建設ブームにのり、鉄道車輛製造事業会社の共同創業者として一財産を築いた。
美術面では温厚な紳士としての評判が高いフリーアだが、ビジネス面ではリストラや労使問題対応など冷徹な経営者の顔をみせている。これは後の美術交渉でも見受けられるタフで容赦ない交渉者としてのフリーアと通じる一面だ。同世代の日本美術愛好家である三井物産創業者・益田 孝や横浜銀行頭取・原 富太郎らと晩年仲良くなったのは、審美眼もさることながら、実業家としての性格でウマが合ったのかもしれない。
フリーアが日本美術の収集をしていたのは1900年前後。ちょうど日本が急成長で西洋列強に追いつき脅威とみなされはじめる時期だ。時代背景は現代の中国・インドの台頭に似ているかもしれない。そのような時代背景下で、アートがどのように取引されるのか、どういった癖の強い登場人物が出てくるのか、政治・外交的配慮がなされるのか、そんな観点で本書を読むのもおもしろい。
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フリーアの蒐集ルートは様々だが、一番数として多いのは「山中商会」経由。本書でも度々登場する日本のアート商社だ。山中商会なしには日本美術の世界的ブームはなしえなかったといっても過言ではない。そんな山中商会の本も一読の価値ある。書評はこちらとこちら。