昨年、私は東京を離れ、某南の島に拠点を移した。周囲に、自生の葉物や果物を見分けて収穫する人や、自分で魚や猪を獲る人、潮の満ち引きや風の流れを読める人がぐんと増えたなかで、痛感しているのが「ああ、私何もできない」ということだ。頭でっかちで、「生きる力」「生きた知恵」が悲しいほどない…。
そんな反省の日々を送っていたなかで出会った本書『学校の枠をはずした』は、子どもたちを対象にした教育プロジェクトの話だが、大人になった私にとっても「欲しい学び」が詰まっていた。
本書が紹介しているのは、東京大学先端科学技術センター・中邑研究室と日本財団が、2014年から5年間にわたり実施してきた「異才発掘プロジェクトROCKET(Room Of Children with Kokorozashi and Extra-ordinary Talents)」だ。
ROCKETには、特定の分野に突出した能力があるものの協調性がない子や、読み書きに困難を抱え、コミュニケーションのとり方が周囲と異なる子どもなど、性格や認知能力に偏りがある子どもたちが集まっている。そんな子どもたちの特性やニーズに合わせた、ワークショップや講演、国内外の研修など多様なプログラムを提供している。
教科書・時間制限・目的・協働、全部なし!
ROCKETのプログラムの特徴は、「教科書なし」「時間制限なし」「目的なし」「協働なし」という、通常の学校の様々な「枠」をはずしている点だ。
例えば、ある日のミッションは「イカの墨袋を破らずに取り出し、パエリアを作れ!」。調理台のうえには5種類のイカと、はさみ、ピンセット、シャーレ、ふきんが用意されているが、参照できるような資料もなければ、作り方も一切教えないのがROCKET流。子どもたちはイカの種類も知らなければ、どこが墨袋で、どう解体し、どう火を通せばいいのかも知らない。朝10時にスタートして昼食にする予定が、悪戦苦闘の末、パエリアが完成したのは5時間後の午後3時だった。出来上がったのも、一人ひとりまったく異なる「パエリア」だ。
他にも、「卵の殻を割ることなく中身だけ取り出して、親子丼をつくる」「軽井沢へ行こう!ただし中山道を歩いていくこと」「昔話『ぶんぶく茶釜』の舞台・茂林寺にあるタヌキの置物の数を数えよ!」など、思わず「え、何のため?」「わざわざそれをやって何になるの?」とつっこんでしまいたくなるようなミッションが並ぶ。
そうしたミッションを設定している理由について、ROCKETのディレクター、中邑賢龍氏はこう語る。
明確な目的、短期的な成果を求めがちな社会で、新しい何かを生み出すには、「よくわからないけど、おもしろい!」と思えるような予期せぬ出会いや場が重要。
納得がいくまで試行錯誤して、たどり着いた答えには、正解も不正解もありません。もちろん、人と比べる必要もなくなります。
今の時代、レトルトや冷凍食品を使えば簡単にご飯は作れるし、交通網も整っている。インターネットで検索すれば、おおよそどんなことでも「答え」を教えてもらえる。しかし、そんなふうに途中のプロセスをスキップして成果物だけを得る日々を続けているうちに、実は「わからないこと」「できないこと」「失っている力」は増えているのではないだろうか。
ROCKETのアドバイザリーボード・メンバーの養老孟司氏は、そうした現代社会を「生身の人間がいらない社会」と本書で表現しているが、教育の世界においても、オンラインコンテンツの増加など、生身の人間を介さない学びの選択肢が増えているように思う。だが本書を読んでいると、そうした新しい教育スタイルではこぼれ落ちてしまうであろうものも、垣間見えてくる。
大人が「壁」になる教育
ある日のミッションは「1960年代に作られた古い椅子を修復する」ことだったが、子どもたちは部品を接着するときに、もともと使われていた膠(にかわ)ではなく、化学接着剤を選んだ。膠は温めると緩むため、何度も部品を取り外して修理することができるが、化学接着剤は強力で、一度くっつけたら解体することはできなくなる。その様子を見て中邑氏は子どもたちにこう問いかけた。「扱いにくいものが使われないなら、君たちのような子どもも社会にはいらないのかな?」。
中邑氏はROCKETにおける大人の役割を、「大人が子どもの学びを導くように道を示すのではなく、大人が壁になる」ことだと話す。立ちはだかり、ぶつかってくれる大人がいることで、子どもたちは立ち止まり、考える機会を得ているのが本書の様々な事例から伝わってくる。
ディレクターだけではない。ROCKETのミッションの大半でインターネット検索が禁止されているが、その結果、子どもたちは周囲の人に聞いてまわったり、周りの子供たちと相談せざるを得なくなる。もともとROCKETに集まってくる子は、友達と群れるより一人が好きな子が多く、「協働すること」が苦手な子も少なくない。しかしミッション達成に向けて夢中になるうちに、周囲とコミュニケーションをとったり、協力し合って行動することを自ずとやってのけていく。
先述の養老孟司氏は、現代社会において人間は「ノイズ」だと話しているが、人と関わることはときに面倒臭く、非効率的なことでもあるかもしれない。「生身の人間がいらなくなっていく社会」では、人間同士のコミュニケーションの面倒臭さも減らしていく傾向にあるように思う。
だが本書を読んでいると、そんな時代だからこそ、人と関わり合い、人から学び、人と繋がることの豊かさを感じる。たとえそのなかで痛みや怒りを感じることがあったとしても、だ。
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子どもたちに向けた教育プロジェクトを紹介する一冊でありながら、現代社会において、こぼれ落ちていっている様々なものの大切さにも気づかせてくれる本書。「学び」について立ち止まって考えたい人には、きっといい「壁」にも「ジャンプ台」にもなってくれるはずだ。だが、この本を読んで感じたことや学んだこともまた、「頭でっかち」なインプットで終わらせないようにもしたい。