テクノロジーが社会に普及するには、何が必要なのだろうか。コロナ禍で話題になった電子署名やUber、Airbnb…世に広がるものと、そうでないものは何が違うのか。電気が社会に普及した歴史など数々の事例から見出した、成功する社会実装の手法とは?スタートアップ支援の経験と豊富な事例研究実績がある著者が書いた、新たな視野を提示する一冊だ。
本書の基点は、本書の母体となったワーキンググループの「日本の社会実装に足りなかったのは、テクノロジーのイノベーションではなく、社会の変え方のイノベーションだった」という調査結果にある。つい我々はテクノロジーのほうに視点を向けてしまいがちだが、社会の仕組みを変えなければ、テクノロジーが受容されることはないというのである。
まず「未来の理想(インパクト)」を社会で共有しあうことが重要だ、と指摘する。社会の仕組みを変えるには大きな力が必要なため、受益者サイドでのアウトカムの認識が欠かせないというのだ。私はこのアプローチに出会って大きくヒザを叩いた。それは本書を読むことで私にもたらされる変化(インパクト)を予感させた瞬間でもあった。
その予感は当たっていた。本書を読んで、解決策だけでなくアウトカムまで想定する、デシジョンメイキングだけでなくセンスメイキングを考える、従来の起業手法だけでなく政策起業という手法を考えるなど、私の中にも数多くの変化が起きたのだ。スタートさせたばかりの新規事業にも、大いに参考になった。
「デジタル時代の新規事業担当者、スタートアップ必読の1冊」まさにキャッチコピーそのままだ。そして、この本には未来を実装する方法を伝えようという意図が満ち満ちている。タイトルにも偽りなしだ。「リスク」や「ガバナンス」などの重たい言葉が出てくるにも関わらず、私は最後までワクワクしながら読みきった。夢のある本なのだ。
本書の手法を具体的に見ていきたい。柱となるのは1つの前提と4つの原則だ。前提とは「デマンド」である。どんなにテクノロジーを使って新しい社会を作ろうと頑張ってみても、それを人々が必要としていなければ普及することはない。著者は具体例を示し、多くの失敗はここに起因すると書いている。
だから、サプライサイドに立った社会実装からデマンドサイドに立った社会実装へと、発想を切り替える必要があるというのだ。私も13年間サイト開発に携わった経験があるため、これは身に沁みてよくわかっている。さらに成熟社会における社会実装の難しさに関するこんな指摘も正鵠を得ている。
電気がなかった時代からすると、現代は夢のように便利な時代だろう。しかし、高度経済成長時代を経た成熟社会においては、古い技術を大きく凌駕する便益をもたらさないといけない。そして、既得権益者や既存の制度が邪魔をする。そのため、テクノロジーの社会実装の難易度はあがっているというのである。
そこで必要になってくるのが、政治やソーシャルセクターを意識した「社会の変え方」のイノベーションである。著者は数多の事例研究によって、それを成功させるための「インパクト」「リスク」「ガバナンス」「センスメイキング」といった4つの原則を基にした、本書の手法に辿り着いたのだ。
日本でGAFAのような企業が生まれないのは残念な現実だ。でも、実際にスタートアップ支援の経験がある著者はその現実を変えたいと願っているに違いない。だからこそ一歩踏み込んで「こうすれば、日本でもうまくいくんじゃないかな」と挑戦者を鼓舞しているように感じるのである。おめでたい私は、その力を受け取って想像の翼を広げた。
私の頭に浮かんだのは、20年以上働いた出版業界についてである。そこには多くの人が共通して指摘するいくつかの課題がある。万引きの多さ、二次流通の問題、返品率の高さ、業界三者の利益分配率の問題などなどだ。また、ブロックチェーンやNFT、電子タグ、電子書籍などそれを解決するテクノロジーの候補もある。
それでも変われないのは、テクノロジーの前の「社会を変える」作業が途方もなく大変だからだ。そこには関係者間の利害対立や、置き換えが難しい現行制度が立ちはだかっている。特定の技術を指さして「これを使えばいい」と指導するのは簡単だ。私は、そんな安直な立ち位置にとどまらない著者の姿勢に感動を禁じえなかった。
この成熟社会だ。おそらく各業種において、同様の悩みを抱えている方は大勢いらっしゃるだろう。仲間と集まって愚痴を言いあうことでやり過ごすのを良しとしたくなければ、ぜひ本書を参考にしてもらいたい。自分の考え方こそが問題だったことに気づき、諦めることなく社会を変えていく一歩を踏み出す勇気をもらえるに違いない。
話を4つの原則に戻そう。インパクト(未来の理想像)を明確に打ち出して、実現に当たってのリスクを管理していくという手法がまずは必要になる。ガバナンスによって信頼の基盤を築き、センスメイキングによって一人ひとりの想いや関係性が醸成されてはじめて行動が生まれ、社会が変わるというのである。
耳慣れない言葉だが、本書では「センスメイキングとは、ステークホルダーが『理にかなっている』『意味を成す』『わかった』と感じることによって、人々が動き出すプロセス」と説明されている。デマンド、インパクト、リスク、ガバナンスが満たされても、最後はセンスメイキングによって一人ひとりが変わらなければ、物事は進まないというのだ。
電気やGAFAなど、社会実装が進んだ技術を振り返ってみれば納得できる。最終的には一人ひとりが腹落ちして行動することが社会実装には欠かせないのだ。本書ではそのための手法として、ナラティブ、参加型の取組をする、プロトタイプを作る、小さな成功から始めるなどを紹介している。それは時間がかかる作業だが、避けては通れない。
本書の巻末には10の「社会実装のツールセット」が紹介されている。変化の流れを図にした「変化経路図」や「アウトカムの測定や評価」から始まり、「規制の変更」や「業界団体」、近年注目を集めている「アドボカシー活動とパブリックアフェアーズ」まで、思考整理に使えそうである。読みやすくて中身の詰まったこの本は本当にバリューが高い。絶対に買いだ。