「今の仕事をこのまま続けるつもり?」。妻のその一言で人生が思わぬ方向へと動いた男のエッセイだ。
なるほど、妻にここまで言わせるとは、この男、芽の出ないアーティストか何かだろうか。そう思う人も多いかもしれない。しかしそうではない。著者の吉田亮人は小学校の教諭だった。安定した人生が約束された公務員だ。
著者と同じく教師をしている妻は畳み掛けるように言う。「つまんないなと思わへん? そんな人生」。同僚の先生たちを見れば10年後、20年後の自分たちが予想できる。社会的地位に守られ、他人が敷いたレールの上を進む人生だ。
生まれたばかりの一人娘には、父親のそんな姿は見せたくない。なぜなら、より変化が激しくなっていく社会で、娘は自分の力で道を切り開いていかなければならないからだ。「だから家に公務員は二人もいらん」「亮人はいばらの道をいって」と。
妻の正気を疑いつつも、その気迫に押され、著者は教師を辞める決断をする。そして選んだ「いばらの道」が写真家だ。30才を目前に人生ゼロからのスタートである。
そんな著者が最初に選んだ撮影地がタイ国内にあるミャンマー人の難民キャンプだ。軍事政権から逃れてきたミャンマー人たちの困窮と閉塞感に心を痛めつつも、本当にこれが自分の撮りたいものなのだろうかと悩む。結局、彼は難民キャンプで撮影した写真を封印する。写真家としての第一歩は失敗で幕を閉じた。
転機が訪れたのはインド。デリーからムンバイを自転車で走破するという撮影旅行の際だ。偶然訪ねた「更紗」の工場で、前近代的な労働を行う労働者の姿に言い知れぬ「美」を感じたのだ。以来、彼は「労働」に焦点を絞った作品を撮り続けることになる。知り合った労働者たちは「家族のため」に働くと口を揃える。「働く」とは何か。写真家として浮き沈みの激しい世界に身を置く著者は、彼らの姿を通して自身の道を再考していく。
その後、第二の故郷となるバングラデシュでの撮影を成功させ、国内外の写真コンクールで賞を獲得する。
そんなある日、年の離れた従兄弟の大輝が遺体で発見される。大輝は看護大学の学生で、1年ほど前から「行方不明」であった。遺体は山林で発見された。「自死」であったという。大輝は大のおばあちゃん子で、小さな頃から祖母の部屋で寝起きし青年になってからも共に暮らしていた。持病のある祖母を毎日看病する、優しい青年だった。
強い絆で結ばれていたため、残された祖母は生きる意味も希望も失ってしまう。
著者も大輝の死と祖母の絶望から目をそらすために日々を忙しく過ごす。しかし、あるとき妻から様子がおかしいと指摘され、自らの心に向き合う決意をする。著者は2人の写真集を自費出版することで自らの心に折り合いをつけようとする。こうして完成した写真集は国内外で大きな反響を呼び、青幻舎から『The Absence of Two』というタイトルで普及版が出版される。「働く」をテーマにした本書は「家族」と「生」の物語へと変化していく。
人生の愛しさとおかしさ、そして悲しみが胸中に響きわたる一冊だ。
※週刊東洋経済 2021年4月10日号