昨年、新型コロナで急逝した「笑いの王様」志村けん。本書は、1994年から7年に渡ってその付き人を務め、朝から晩、海外ロケまで同行した著者が師匠の姿を振り返ったものである。運良くドライバーとして採用された若き日。「笑いは正解のない世界だから、俺から教えることは何もないぞ」という師匠に出会い、二人はどう交わっていったのか。
本書を読んだのは発売直後。今から1か月前だ。私はいわゆるドリフ世代で、毎週「8時だヨ!全員集合」を楽しみに観ていたこともあり、熱量を持って一気読みした。でもHONZにレビューを書くのには躊躇いがあった。最終的に書き始めたのは昨日、命日前日の午後だった。昭和・平成の芸能史を彩った傑物の類まれなる人物伝として、紹介することに決めたのだ。
書くことに決めた理由はもう一つある。この1周忌を前に、追悼特集を組んだ雑誌が店頭に多数並んでいる。BSやCSでは出演番組の再放送も組まれている。人間は誰しも多面体だが、こういった雑誌や映像を通しては知り得ない志村けんが、この本には存在したのだ。それが生まれた奇跡に、私は思いをはせてみた。
読んでみるとわかるが、著者の「クソ」がつくほど真面目さが本書の行間から滲み出ている。それを感じるたび私は、その背後で温かく微笑みながら弟子の頑張りを見つめる志村の表情が目に浮かんできたのだ。芸人としてはなかなかメジャーになれなかった著者だが、師匠はこうして活躍の場を与えてくれたのかもしれない。
そんな志村からのエールを感じ取って、少し強行軍だが原稿を書くことに決めた。そもそも私にとっても志村は多くの励ましをもらった大恩人である。感謝と追悼の思いを捧げてもバチは当たるまい。彼が愛する弟子が書いたこの素晴らしい本を紹介したい。芸人生活のハレとケ、師匠と弟子など自在にアングルを変えながら、本書のレビューを書いてみたいと思った。拙いながらも、血の通った思いが伝われば嬉しい。
まず私が本書を高く評価したのは、志村の仕事上の顔、仲間内での顔、個人の顔を多面体で表現できているからである。仕事上の顔は、皆様もよくご存じの視聴者に向けられた表現者としての顔である。仲間内での顔というのは、仕事と個人の間の顔である。本書では、ダチョウ倶楽部の方々との交流などが楽しく描かれている。
付き人兼ドライバーとして呼ばれたらすぐ行けるように、24時間体制でスタンバイしていた著者に志村は誰にも見せない個人の顔を見せている。それを書けるのは著者を置いていない。生涯独身を貫いた志村は、意外にも結婚に否定的だったわけではないらしい。でももし結婚するなら、自分の寝室のドアに入室拒めるような信号機をつけたい、と言っていたというのである。
個人の時間をいかに大切にしていたかがわかるエピソードだ。休息という意味ももちろんあるのだろうが、スポットライトを浴びる華やかな時間だけでなく、笑いを生み出すために自分自身の内にこもる時間がやはり必要なのだろう。芸人としての大きなアウトプットのためには、華やかな「ハレ」と日常の「ケ」のバランスが欠かせないのかもしれない。
またプロは、水鳥が懸命に足をかくように、見えないところで弛まぬ努力をしている。ひとみばあさん、カラスの勝手でしょ…代名詞となったギャグの由来を本書で読んでヒザをたたくことが度々あった。一流の仕事を生み出すには、ハレとケのバランスとともに、日常から地続きの発想も大切なのだ。それがリアリティを生み出すのである。
「常識を知らないと、非常識なことはできない」と志村はよく口にしていたという。「いいよなおじさん」など、多くの非常識なことをしでかすキャラクターを生み出してきた。しかしその陰では、著者には絶対に真似できないほど、ニュースを欠かさずチェックし新聞を読み漁っていたというのだ。志村独特の一瞬の芸のキレと深さの源泉のひとつなのだろう。
最初に志村から「教えることは何もない」と言われた著者だが、じつは師匠から怒られたことが何度かあるそうだ。そのエピソードにも、志村のリアリティを追求する姿勢が見て取れる。それは芸人を目指している著者が、一般人との違いを出すため、髪を緑色に染めたときのことだった。その翌日、楽屋に入るとき師匠から「バカヤロー」と怒鳴られたというのだ。
志村のコントでは、冷蔵庫には食べ物が入っており、机のひきだしには文房具が入っていた。見えない細部にまでこだわっていたという。入口でお客さんがリアリティを感じれば、オチはどうなっても大丈夫だと話していたそうなのだ。根が真面目な著者に演じられるのは普通の人の役なのに、そんな髪にしたらコントに出せないだろ、と志村はいった。
この「バカヤロー」に私は師弟愛を感じた。仕事がいつ終わるかもわからない、終わってもまっすぐ帰らない、飲み始めたら何時になるのかわからない、そんな師匠のドライバーをするなんて想像するだにゾッとする。それを7年間つとめることができたのは、弟子の純粋な思いと師匠の愛情があったからだと私は思う。
やがて自らの道を探して志村のもとを離れた著者だが、その後も志村の舞台に呼んでもらうなどして世話になっていたようだ。付き人時代に知り合ったダチョウ倶楽部らの先輩芸人にも可愛がられて現在に至っている。「天才志村けんと、凡人げそ太郎。げそ太郎の人生もコントだな。いいコントだ」オビにある上島竜兵のこの言葉は、何度読んでも胸が熱くなる。
本書は、真面目でひたむきな著者がヒーローに憧れて上京し、そのヒーローのもとで成長していく物語としても読める。そして突然訪れた永遠の別れ。これは泣ける。亡き人に言葉を手向けるのは何よりの供養になるという。「7年間無理を言ってすまなかったな。げそ太郎、ありがとう」きっと天国で本書を手にした師匠は、ニヤリと笑っているに違いない。