本書はさまざまな読み方ができる多面的なビジネス書である。江副浩正という希代の経営者の波乱に富んだ人生をつづった伝記として、戦後のわが国の企業がたどってきた経営史として、そしてリクルートという会社の特異なビジネスモデルの研究書として読むことができる。
江副は非常に人見知りをする性格で、創業社長にありがちないわゆる「親分肌」ではなかった。それが逆に功を奏し、自分より優秀な人間にどんどん仕事を任せることで、社内に「経営者」を増やしていった。
リクルートの精神的支柱である社訓「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」が、これを端的に表している。カリスマの「リーダーシップ」に取って代わるのは、社員の「モチベーション」だったのである。
リクルート事件の後、ダイエー創業者の中内功が同社を引き受けた。それは、上司の顔色をうかがい唯々諾々と従うだけの社員とは正反対の、自ら考えることのできる社員が欲しかったからである。
堀江貴文率いるライブドアが検察という公権力の標的となり、あっという間に解体されてしまったのは記憶に新しい。あれは日本がインターネットの世界から取り残され、「先進国」の地位から滑り落ちた分水嶺だったと考えることもできる。
同様に、リクルート事件では、マスコミや世論のルサンチマンとそれに乗じた検察権力によって、リクルートも解体の危機に瀕した。
リクルートはその後、産業再生機構やダイエーの尽力によって憂き目を免れた。今では唯一無二の日本発プラットフォーマー(GAFAに代表される、市場参加者同士を結びつけるプラットフォームを提供する企業)として、日本を代表する優良企業に成長している。
世界の先進国が知識社会へと転換し、主要産業が製造業から情報産業にシフトする中で、日本は完全に取り残されてしまった感がある。その中で、気を吐いているリクルートは、わが国の至宝と言える。
このような特異な企業を創業した江副という人物が、希代の天才経営者であることは間違いない。江副はアダム・スミスの「(神の)見えざる手」を信じ、ピーター・ドラッカーを「書中の師」と仰ぎ、「近代経営のマネジメント」を愚直に実践した。
しかし残念ながら、そこには人間や社会についての深い洞察が欠如していた。日本に限らず、それぞれの社会には法律とは別に固有の「倫理」がある。それは大きなうねりのように少しずつ変化していく。『論語と算盤』を著した日本資本主義の父・渋沢栄一などとは違い、合理主義者だった江副には、それが見えなかったのである。
そして何より、江副は自らが目指す道を途中から完全に見失ってしまった。江副の関心は、コンピューターと不動産に向かい、本業である情報誌事業への興味をなくした。事業の成功で肥大化したエゴと、生い立ちや性格からくる強いコンプレックスが江副の中でせめぎ合い、彼の人格を押しつぶしていった。
江副という一人の経営者の生き様の中には、戦後の日本社会の足跡そのものを見ることができるのである。
※週刊東洋経済 2021年3月27日号