埋葬には宗教による違いがある。イスラム経は土葬のみだし、キリスト教でも死者の復活という教えがあるので土葬が望まれる。国、地域別の火葬率は、米国52%、イギリス77%、ドイツ62%、フランス40%、イタリア24%、カナダ71%、ロシア10%、台湾97%、香港93%、韓国84%、タイ80%(2016年、2017年の資料)である。日本では、いまやほとんどが火葬なので、我々から見ると意外なまでの高率だ。
明治時代には、火葬は仏教僧が推進するものであるという神道派の主張により、二年後に廃止されたとはいえ「火葬禁止令」が布告されたことすらある。しかし、2017年の統計では、99.97%が火葬で、残りの0.03%が土葬であるにすぎない。およそ4000人ほどなので、すごく少ないけれども、同時に、まだそれくらい残っているのかという気がする数字である。
『土葬の村』は、タイトルのとおり、土葬の習慣の残る村の記録を中心としたドキュメントだ。しかし、その内容は土葬にとどまらない。第一章『今も残る土葬の村』から始まり、第二章『野焼き火葬の村の証言』、第三章『風葬 聖なる放置屍体』と続く。
土葬に参列した経験はないのだが、野焼き火葬の記憶はある。ちいさな頃の体験として強烈すぎるものだ。小学校一年生の時だったと思う。母方の祖母が亡くなった。墓地に屋根だけの小屋があって、そこでの野焼きだ。棺桶にみんなが藁で火をつける。そして祖父の家に戻った。
風向きが悪かったのだろう、何百メートルか離れた野辺焼き小屋から家へ強烈な臭いが漂ってきた。髪の毛や爪を焼いた時の臭いを何千倍、いや、何万倍にもしたような感じだ。祖父-すなわち亡くなった祖母の夫-が、ぬれタオルを覆面のようにして「くそうてたまらん」と文句を意っていた。幼心に、「おじいちゃん、さすがにそれはあかんのとちゃうの。うちの人を焼いてるのに」と思ったのをよく覚えている。うんと田舎での出来事、ではない。周辺部とはいえ、大阪の河内地区でのことだ。昭和30年代の最後にはまだそんな風景が残っていたのだ。
この本での土葬の調査地域は、京都府南部の南山城村、奈良市大保町、そして、河瀬直美の映画『殯の森(もがりのもり)』の舞台になった奈良市田原地区である。地図を見ればわかるが、これらの地域はかなり近接している。偶然なのかどうか、このあたりには比較的近年まで土葬の習慣が色濃く残っていた。
南山城村での土葬・野辺送りが詳しく紹介されている。我々の知るほとんどの葬儀は業者によって進められる。しかし、土葬の村では違う。周辺の住民によっておこなわれる。まず、葬式の日、持ち回りの「墓堀り役」3~4人が穴を掘りに行く。その間に、喪家では、村人が「野辺送り」で使う葬具を手作りする。野辺とは埋葬地のこと。だから、「野辺送り」は遺体を埋葬地まで持っていくことを意味する。
墓掘り職人が戻ってくると「斎(とき)」と呼ばれる弔いの食膳の席が設けらる。そこでは、「弔い独特の非日常な心の高ぶり」を消すために「シモ消し」というちょっと下品な名前の酒がふるまわれる。出棺時には死者が使っていた茶碗を門前で割り、死人が帰ってこないように一束の藁を燃やす。
葬列の先頭は長老で、悪霊を叩き出すためにカンカンカンと鐘をうち続けて歩く。その後には木の棒の前後に四つの餅が入った二つの木箱を吊し持つ「四つモチ」役の子どもが歩く。そして位牌を持った黒装束の喪主夫人、次いで「亡者の膳」を運ぶ役。亡者の膳は、死者の枕元に置いてあった枕膳で、死者の当座の昼弁当だそうだ。一方の四つモチの餅は死出の旅という長旅で食べるためと、えらく細かい配慮がなされている。
そして、引導を渡す僧である導師、ふたりに担がれた座棺と続く。死人の向きは、家が見えるように進行方向とは逆にしてあるという。これも芸が細かい。その後には、座棺の上に天蓋をかざしながら歩く喪主で、死者と同じく白装束だ。それは、死者になりすまして、死者の汚れを一身に引き受けるためという。葬列のしんがりには「諸行無常」、「是生滅法」、「生滅滅己」、「寂滅為楽」という、涅槃経に出てくる語句の書かれた四本幟が掲げられる。目的地である墓地に着けば、蓮華の花をかたどった石の棺台に座棺を置く前に、その台の周りを時計回りに三周する。そして死者に引導が渡されて埋葬。
少し長くなったが紹介したのは、野辺送りには地元の協力とストーリー性があることを言いたかったからだ。時計回りに三周とか、今ではその意義も忘れられているが、どれもが昔から言い伝えられてきた風習なのである。筆者の高橋繁行も、土葬にしても野辺焼きにしても、野辺送りにこそ重要な意味があるとする。土葬が火葬になるということは、単に埋葬法が変わるだけではない。商業主義的な葬儀に置き換えられることにより、昔ながらの儀式、すなわち、死者をいかに弔うかという風習、が失われていくということなのである。
浄土真宗以外の宗旨では四本幟を掲げ持つなど、全国で共通した野辺送りのやり方がある一方で、じつにさまざまなローカルルールがある。第四章『土葬、野辺送りの怪談、奇譚』では、そういった習慣や、いろいろな伝説が紹介される。死人の枕を蹴る、竹の弓矢を持つ弓持ち役、子どもの遺体をぞんざいに弔う、野焼き火葬場での罵り合い、頭北面西、胎児分離、などなど、いわれを聞くとなるほどとは思うが、不思議な風習がたくさんあったことには驚かされる。
調査地のひとつである大保村では、10年ほど前まではほぼ100%が土葬だった。しかし、そこでも急速に火葬が増加しているという。いま記録しておかないと、土葬や野辺送りといって死者を悼む儀式は完全に失われてしまうのではないか。公的な記録に残るようなものではない。民衆が長い間引き継いできたものだけに、このような記録がきちんと残されていかないと、もったいなさすぎるような気がしてしまう。世紀の奇書、読んで絶対に損はない。