東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言、その後の辞任会見を見て、私は少し驚くほど怒りを感じていた。それと同時に、このような世の中を放置してきてしまった自分自身にも腹を立てていた。多分、同じように思った女性は多かっただろう。森元会長が実例として挙げられた日本ラグビー協会で、女性で初めて理事を務めた稲沢裕子・昭和女子大特命教授が朝日新聞のインタビュー (インタビューアの伊木緑さんの記事も併せて読んでほしい)で「私も笑う側だった」と話されているのを読んで、同じ世代の思いに共感した。
世界経済フォーラムが公表した各国における男女格差を測るジェンダー・ギャップ指数で(経済、政治、教育、健康の4つの分野のデータから作成)、日本が153か国中121位という順位に驚いたのはつい最近のことだ。そんなに日本の女性の地位は低いのか。社会に出て40年、森元会長のように、社会的地位が高い男性が女性を軽んじる発言をしたあと「笑い話」として流し、自分は女性を守ってやるんだ、話を聞いてやるんだ、という”上から目線”に何度出逢ってきただろう。
しかしそれは日本だけの話ではなかった。『存在しない女たち』ではブラジル生まれの英国籍を持つジャーナリストで女性権利活動家のキャロライン・クリアド=ペレスが、日常生活のなかで常識として通ってきた「女性に不利なこと」をデータで明らかにしていく。
身近なことで言えば真夏のオフィスの冷えすぎた冷房温度や男性の身体を基準にして考えられた道具の安全性(スマホの大きさがいい例だ)、医学的データのとり方など、あらゆる場所に格差がある。
問題はそれが悪意によるものでなく、意図的ですらないことが重要だ、と著者は言う。これまで何千年もまかりとおってきた考え方の産物で、女性の考え方を反映していないことが不思議とも思っていなかった。まさに「女性は存在しない」という扱いであったのだ。
データは多岐にわたる。冒頭で紹介するのはスウェーデンの除雪政策だ。ほとんどの自治体では除雪作業は主な幹線道路から行われ、歩道や自転車レーンは後回しになる。ここで滑って怪我をするのは圧倒的に女性だったのだ。理由は無償のケア労働。出勤前に子どもを送り届ける、高齢者のケア、日常の買い物など徒歩で動くことが多いのは女性なのだ。歩道などを先に除雪することで、医療費の大幅削減に至ったという。この件は女性をないがしろにしたわけではなく、データを取ってみたら女性に不利だった、ということなのだが、その前に女性に意見を聞いたのだろうか。日本のデータはないものだろうか。
本書で取り上げる「男性が女性を考慮に入れていない事実」には女性の身体的特徴、無償のケア労働、女性への暴力の3つが挙げられている。
とくに、女性に対する医学的配慮のなさは背筋が凍る。薬剤のフェーズ1と呼ばれる初期治験では女性が排除されることが多く(妊娠の可能性などを踏まえて)、医学教育では男性が「基準」とされる。女性のことは標準男性を学んだあとの付けたしになっていた。そのため、病気の発見が遅れたり、薬禍などに見舞われたりしてきたのだ。今回の新型コロナ禍の妊娠女性に関するデータもかなり遅れている。男女平等と叫ばれている職場では、男性の歩幅や大きさに女性が合わせるのが当たり前だと思われてきた。女性に無理を強いてきたことで、事故や障害が起こっていたのだ。
無償のケア労働に関しては、夫婦間の諍いだけでは収まらない。子育て、介護、家事労働、近所づきあいに至るまで女性の働く時間は長い。しかし対価を払われていない仕事は仕事として認められないのだ。「仕方ない」として従事してきたことがジェンダー・ギャップであると言えるようになったのはごく最近のことなのだ。
そして暴力。体力的に力が強い男性に暴力をふるわれる恐怖は絶対男性にはわからない。特に性的な恐ろしさは多くの女性が経験している。夜道の一人歩きや誰もいない駐車場など不特定の相手だけでなく、知人や家族からの暴力もなかなか表面化しない。
指導者や政治家、企業のCEOに女性が少ない理由や、女性の能力に関する女性自身を含めての人類全体の思い込み、同性からの圧力など、それぞれの項目を読み進めるうち、頭がもげるのではないかと思うくらい頷いていた。
2015年のある研究では「女性のほうが話を遮られることが多い」という結論に達している。女性が男性の話を遮るより、男性が女性の話を遮る方が2倍多いのだそうだ。議会で女性議員の発言の折、セクハラとも蔑視ともみられるヤジが飛ぶのは日本だけではなく、他の国ではセクハラが暴力に結び付き女性議員たちは身の危険を感じているという。
こうしてデータを積み上げられると、私たち女性はよくやってきた、と思わずにはいられない。これから先は、この腹立たしい格差をどう埋めていくかにかかっている。逆に男性差別だといわれないためにも、男女同数、同権で意見を言い、聞くことが必要なのだ。ジェンダー問題はいま、非常にセンシティブだけに、多くの意見が遮られることなく公けにされるべきなのだ。
世の中の「当たり前」という事柄をもう一度見直してみたい。自分が差別を感じていないとしても、差別が存在しないという理由にはならない。男性中心の会議で、愛想笑いをしなくてもいい社会をきちんと構築すべき時に来ているのを感じる。
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男の理論で月経について論じられてきた過去を検証した一冊。「女は生理のとき、カッと頭に着て何をするかわからない」という根拠のない通説は何故まかり通ったのか。