寝る前に読む本、通勤時に読む本と状況に合わせて本を読み分けている人は少なくないだろう。私もそのひとりだが、意外に難しいのがトイレで読む本の選択だ。
トイレと聞いて馬鹿にしてはいけない。選書の難しさでは最高峰にある。トイレタイムには長短がある。拾い読みが可能で、間をあけても腐らないものでありながら、時には続けて読むに値する、そんな質の高さが求められる。真剣に選ぶとなると慎重さを求められるが、本書はその候補となりうる一冊だ。
大正中期から昭和初期までの新語・流行語285語を、当時の約30の流行語辞典から収録し、言葉が生まれた背景などの解説を加えている。
私たちは言葉というものを普段何げなく使っている。だが、どうしてそういう表現なのかまでは、理解せずに使っている場合も多い。流行語はその最たる例だ。気づいたら使わなくなっている流行語や、世代によってはまったく使わない流行語も存在する。流行語がどのように生まれ、消えていったのか。その背景を想像するだけでも楽しくなる。
ぱらぱらめくっていると、今でも私たちが使っている言葉が少なくないことに驚く。意味深長を表す「イミシン」、助けを求める「SOS」などなど。「アブノーマル」「持参金」といった説明のいらない言葉もある。「音痴」「万年床」もこのカテゴリーに入るが、これらは旧制一高の学生用語に由来する。国家を担う人が大人になっても使い続けて、定着したのだろうか。
現代でも耳にする、しかし当時とは意味が少し変わった流行語も多い。例えば、「スタンバイ」は今では「スタンバる」など「準備する」の意味で使われる。だが、かつては「あの人にスタンバイする」のように「惚(ほ)れ惚(ぼ)れとする」というニュアンスだったとか。
また、流行の先端の興行物を「浅草式」と呼んだのは、過去に東京の中心がどこであったかを教えてくれる。
大正デモクラシー期には民本主義に倣い、あらゆるものに「主義」や「イズム」を付けたのも特徴だ。「イキアタリバッタリズム」のように、何もかもが思想になったのだ。
言葉を短縮したり、もじったりは今に始まったことではないのもわかる。ざっくばらんを「ざくばら」、当たり前を「あた」、生意気を「なま」。昭和・平成の業界人のようなセンスは戦前から日本人に育まれていたのだ。人の家庭に口出しする、やかましい老婆を「オブザー婆ア(オブザーバー)」と記すなど、現代のネットスラングのような語も散見されるから興味深い。とはいえ、多くの新語・流行語は現代のそれと同じく消えてしまった。その傾向は当時の世相を反映した言葉で目立つ。
「言葉の乱れ」が指摘されて久しいが、本書を読むと言葉のあり方が今も昔も変わらないことを痛感するはずだ。昔から乱れているのだから、言葉の乱れなど存在しないのだ。「あの『ありのすさび組(=気まぐれ)』が今では『ガッカリアイエン人(=既婚者)』よ」と平気で話していた時代があったわけだから。
本書に学ぶべきは言葉そのものより、当時の斬新な発想だ。令和の私たちも言葉をもっと自由に発していい気持ちになってくる。トイレも言葉も出すことが重要なのだ。
※週刊東洋経済 2021年3月20日号