本書の初版がイギリスで出版された2020年2月13 日、僕の頭はほかのことでいっぱいだった。COVID│19 (新型コロナウイルス)について朝に報告されたデータを見たあと、感染爆発の分析で自分たちが大きな間違いを犯したのかどうか確認する作業に追われていたのだ。その日中国から報告された新規患者数が1万5000人を超え、前日より750%も増えていた 。僕たちの調査班は、中国国内はもとより海外旅行者のあいだの感染者も含むデータセットを用いた分析結果を1週間前に公表し、1月後半に武漢に導入された感染対策が効を奏して、市内での流行は頭打ちになろうとしていると結論づけていた。いくつかのメディアがこの予備的な分析結果を報じ 、数日間は、僕たちの結論が正しかったように見えた。何週間も増加し続けていた患者数が、ようやく減少に転じたように思われた。
そこへ飛び込んできたのが、2月 13 日の急激な増加の報告だ。寄せ集めの不完全なデータから流行の傾向を引き出そうと早朝から夜まで1カ月近く奮闘したあげく、何か重大な見落としをしてしまったのだろうか? やがてその急増は、中国当局が患者の定義を変えて、重症でない患者も集計に含めるようにしたためだとわかった。データを再検討した僕たちは、やはり、伝染が全体として減少傾向にあることを示す十分な証拠があるという結論に達した。ただ、誰もが同じ考えというわけではなかった。日本のあるチームは、中国での流行のピークは3月後半から4月後半にかけてのどこかで、1日の新規患者数が最大230万人に達するだろうと考えていた 。
いま振り返ってみると、武漢でのCOVID│19 患者数の減少は、のちのほかの都市での減少同様に明らかだったように見える。しかし、あの当時は明らかなことなど何もなかった。世界中の研究者が、アジアで出現しつつある初期の、そしてしばしば互いに矛盾するさまざまなパターンをなんとか理解しようとしていた。1月半ばからずっと、僕たちの研究班は中国本土や日本から香港やシンガポールに至るアジア全域の科学者や保健当局者と、ひんぱんに意見交換を行った。わかっていることとわからないことに関するメモをやり取りしたが、わからないことのほうがいつも圧倒的に多かった。
特に目についたのは、この新しいウイルスの制圧が一筋縄ではいかないだろうという予想だった。2月初めに僕が見た予備的なデータは、COVID│19 に感染した人の多くが、はっきりした症状が現れる前に他人に感染を広げる可能性を示唆していた。これは、具合が悪くなってウイルス検査を受けたときには、すでにほかの人にうつしているかもしれないことを意味する。すると今度はその人たちが感染源となって、目に見えない伝染のサイクルが続く。新規ウイルスの性質としては、まさに一番出会いたくないたぐいの性質だ。それと気づかないうちに、ほんの一握りの患者から大規模な感染爆発に発展してしまう。その週、仕事でメルボルンを訪れていた僕は、ウイルスの影響を写真に収めようと市の中心部を歩いてみた。周囲の通りは人影もなく、武漢からの映像さながらだった。僕の2020年はガラパゴス諸島でのハネムーンで幕を開けたのだが、島の至る所で、動物から2メートルの距離を保つようにという注意書きを見かけたものだ。休暇中に出会ったこの風変わりな注意書きが世界のありふれた日常になろうとは、思いもしなかった。
新型コロナウイルス重症化の解明
COVID│19 については、その広がりやすさのほかに、重症化の程度も解明する必要があった。2月 11 日までに、中国では約4万5000人の患者が確認され、1000人をわずかに超える死亡が報告されていた 。一見すると、だいたい 45 人に1人が死亡したことを示しているようだが、実は問題が2つある。まず、患者が病気に屈するには時間がかかる。たとえ、ある日COVID│19 患者100人が病院にやって来て、その時点で全員が生きていたとしても、致死率がゼロということではない。患者たちがその後どうなるかを見る必要がある。この「様子を見る」時間が経過したあとでの中国の最初期の患者データによれば、患者の 15 %が最終的に死亡していた。そこで2番目の問題が出てくる。中国での患者が一人残らず検出されていたわけではない。日本でのダイヤモンド・プリンセス号のケースのように詳細な検査が行われた世界各地の流行のデータを総合すると、中国での感染者の死亡率は0.5%前後と推定された。高齢者ではそれより大幅に高い 。
もし感染者のごく一部しか死亡せず、しかも重症化に時間がかかるとすると、COVID│19 による新規の死亡例が突然報告されたなら、はるかに大規模な流行が人知れず進行しているしるしかもしれない。2月 19 日、まさにそうしたしるしが出現した。イランでCOVID│19 による死亡が2例報告されたのだが、それはイランでの初めての検出例でもあった。2日後、イタリア北部のロンバルディア地方での流行が報告された。患者の多くはすでに重症化していて、背景にはやはり大きな流行が隠れていることが窺われた。
不完全なデータや未確認の患者という問題が絶えず分析の邪魔をした。2月 27 日にはスペインで最初の地域的な流行が報告され、2週間もしないうちにマドリードの病院の一部は対応能力の限界を超えた。一方イギリスでは、議会のメンバーが感染していたという報告が3月10 日 にあり、その日の新規患者数は全部で 54 人となった。のちに僕の同僚が推定したところによれば、実際にはおそらく5000人以上の新規感染が発生していたようだ 。ヨーロッパ全土で、イベントや集会、スキーリゾートやオフィス、家庭や学校が、音もなく感染爆発に吞み込まれつつあった 。
2つの対策シナリオ
毎年2月末から3月にかけて、僕は理系の修士コースで感染性疾患の蔓延とその対策を教えている。履修評価の一環として、学生には3日間の感染爆発調査の演習を課す。学生は、病人が何人か出たという条件を与えられたうえで、症状から社会的な接触までさまざまな断片的情報を総合して、何が起こっているかを見定めなければならない。学生たちが架空の感染爆発の分析に取り組んでいる一方で、僕たちのチームは保健当局や政府、国際援助団体と協力して、COVID│19 を相手に同じことを試みていた。この感染症についてわかっていることは何か?それぞれの対策のプラス面とマイナス面は何か? 僕たちの知識のどこに穴があるのか?
さまざまな不確定要素があるなかで唯一はっきりしていたのは、かなりの期間にわたって人々の生活が変わってしまうだろうということだった。武漢での初期の流行に関する僕たちの分析では、1月末までに感染していたのは市の人口の5%ほどだろうと思われた。もしその時点で対策をすべて中止し、感染が広がるままにしたとしたら、どうなっていただろう? 市内にはまだ、感受性のある人がどっさりいたのだ。3月 17 日に僕は保健に関する国際的な行事で講演することになったが、英国での規制措置の実施を受けて、急遽オンラインでの講演に切り替えられた。そのなかで僕は、COVID│19 下で予想される今後のシナリオを2種類、おおまかに述べた。シナリオAは気がめいるような未来だ。有効なワクチンや治療法がないため、各国は医療体制が崩壊しないよう、散発的なシャットダウンタイプの措置に頼らざるを得ない。シナリオBはもう少し希望がもてる。一部の国は、ターゲットを絞った検査を拡充し、併せて厳密な隔離と感染対策を行うことによって、社会のその他の方面に過大な破綻をもたらすことなく感染爆発を抑え、最も感染リスクの高い人々を感染から遠ざけておくことができるかもしれない。つまり、2020年がどのような年になるかは結局、政府が自国民にどのような対策を課すかによって決まるだろう。韓国や台湾のように、電子機器による監視で感染者を特定して確実に隔離するか、ベトナムやニュージーランドのように国境を封鎖するか。あるいはスウェーデンのように、在宅勤務や集会規模の制限といったもっと緩やかな対策を試してみるか。
僕にとって、COVID│19 で一番驚かされたのは、世界各国の反応が実にまちまちだったことだ。まるでウイルスが、この1年││ひょっとするとそれ以上││自国をどのような社会にしたいのか決めるようにと、各国に要請したかのようだ。答えは千差万別だった。個人の自由を重んじる政策に対して、集団としての規律を求める政策。自発的な手段に対して、強制的な手段。個人データの集中管理に対して、プライバシー保護に留意しながらの調査。散発的な移動制限に対して、継続的な移動禁止。
パンデミックによって、世論を二分するような難しい選択を強いられた結果、影響が社会の基本的なありかたにまで及ぶかもしれない。COVID│19 による影響は最終的に、病気自体の影響を遥かに超えるものになるに違いない。2020年には、コロナウイルスと並んで、ほかの形の伝染もいくつか広がるだろう。誤情報の拡散が正しい健康情報の伝達を妨げ、政治的な対立をいっそう煽る。COVID│19 対策によって引き起こされた混乱から、経済的な低迷や社会不安が生まれる。在宅勤務の初心者がサイバー攻撃やマルウェアの餌食になる 。とはいえ、こうした混乱のなかにあっても、ときおり楽観的な見方が広がることもあった。ワクチンの開発、新しい治療法の発見、知識の蓄積といった、希望のもてる動きも見えた。
あらゆる「感染爆発」が存在する
伝染するものというと、感染性疾患やウイルス化したオンライン情報のようなものを考えがちだ。しかし感染爆発をもたらすものはほかにもいろいろある。暴力やマルウェア、金融危機のように有害なものもあれば、新しいテクノロジーや科学的新機軸のように有益なものもある。生物学的な病原体やコンピュータウイルスのように目に見える感染もあれば、抽象的な概念や信念のように見えにくい感染もある。急激に拡大する場合もあれば、時間をかけてゆっくり広がる場合もある。なかには、予想もしなかったパターンをとり、どうなるか様子を見ているうちに、そうしたパターンが興奮や好奇心、さらには恐怖心さえ搔き立てるようになることもある。そもそも、感染はなぜそんなふうに勢いを増し、やがて衰えるのだろうか?
第1次世界大戦が始まって3年半、ドイツ軍がフランスでいわゆる春季攻勢に出ていた頃、 大西洋の反対側に新たな脅威が現れた。米国のカンザス州にある大規模な軍事基地のキャンプ・ファンストンで、人々が死に始めていたのだ。原因は新型のインフルエンザウイルスで、近隣の農場の動物のあいだで蔓延しているうちに、人への感染力を獲得したものと思われた。1918年から1919年にかけて、この感染症は世界的な流行、すなわちパンデミックを引き起こし、5000万人以上の死者を出す。最終的な死者は第一次世界大戦による総死者数の 2倍にのぼった。
その後の100年間に、インフルエンザのパンデミックがさらに4回起こっている。COVID│19 が現れる以前、次のパンデミックはどのようなものになるのだろうかと訊かれたことがあるが、残念ながら、ひとことでは言えない。これまでのインフルエンザのパンデミックはどれもわずかずつ違っていたからだ。ウイルスの種類もそれぞれ違っていたし、感染爆発の程度にも、地域によって違いがあった。実際、僕らの仲間内には、「パンデミックをひとつ経験したからといって、次も同じだとは思うな」という警句があるほどだ。
調べているのが疾病やオンライントレンドの拡散であれ、何かほかのものの拡散であれ、まず突き当たるのが、感染爆発はみな同じような姿をしているとは限らないという問題だ。そこで、ある感染爆発に特異的な性質と、感染を推し進める一般原則とを識別する方法が必要になる。単純化された説明に惑わされることなく、目に見える感染爆発パターンの背後にあるものを明るみに出す方法が必要なのだ。
この本の狙いはそこにある。生活のさまざまな領域における伝染という現象を詳しく調べることで、何がものごとを拡散させるのか、なぜ感染爆発はそのような姿をとるのかを明らかにする。その過程で、一見無関係な問題、たとえば金融危機や銃による暴力、フェイクニュースから、病気の進化やオピオイド中毒、社会的不平等といった問題のあいだのつながりが見えてくるだろう。感染爆発への対処に役立つさまざまな考え方を紹介するだけでなく、実際の感染爆発の際に見られた一風変わった状況も取り上げる。感染症や信念や行動のパターンについてのこれまでの考えが、一新されるような体験になるかもしれない。この本の最初の版を書いたのはCOVID│19 パンデミックの起こる前だった。最終校正刷りを承認したのが2019年12 月初めで、そのすぐあとに武漢の海鮮市場近くで最初の患者の発生が報告された。2020 年のさまざまな出来事が反映されるよう、一部修正を加えたとはいえ、本書の大筋に変更はない。これはひとつのウイルス、あるいはひとつの感染爆発についての物語ではなく、僕たちの生活のあらゆる面に影響を与える感染という現象についての物語であり、それに対して僕たちに何ができるかについての物語である。