大阪の中堅商社イトマンから数千億円ともいわれるバブルマネーが裏社会に流れ込んだ「イトマン事件」。2016年のベストセラー『住友銀行秘史』は、四半世紀を経てその内実を明らかにした。
イトマン事件をめぐり、バブル紳士の暗躍を描いた作品は少なくなかったが、同書は当事の経営幹部の姿を実名で詳述し、銀行組織の暗部に光を当てたため金融業界に衝撃が走った。著者で、当時住銀の部長だった國重惇史氏がイトマン社員を装い関係各所に内部告発文を送りつける光景など、「秘史」の名にふさわしい緊迫感に満ちた一冊だった。
あれから4年強。本書で、國重氏は描かれる立場になった。『秘史』を執筆した頃はすでに銀行を離れ、楽天副会長の職も女性問題で辞任していたが、彼を取り巻く環境はさらに厳しさを増している。
証券取引等監視委員会が調査に乗り出したベンチャーの関連企業役員に名を連ねたり、怪しいネット動画の広告塔にされたり。日本を代表するメガバンクで出世街道を駆け上っていた男の転落は、否応なく関心を集めた。
冒頭から引き込まれる。二十年来の付き合いの著者との酒席では、ろれつがまわらず、バーのスツールから転げ落ち、支えられながら自宅にたどり着く。ワンルームの家には大量のビールの空き缶と万年床。前妻への月200万円ともいわれる慰謝料をどう払っているのか誰もが疑問に思う生活だ。部屋の隅に積まれた段ボール箱の中の膨大なメモや書類だけが、その部屋の住人が「住銀を闇社会から救った男」であることを教えてくれる。
本書は過去との対比で進む。『秘史』では十分に描かれていなかったイトマン事件前夜が舞台。國重氏のバンカーとしての前途が洋々だった時代を、自ら手帳に書き続けたメモから著者が再現する。今から30年以上前の出来事だけに、ピンとこない人も多いかもしれない。だが、背景を知らずに本書を読んでも、政官財のそれぞれの思惑が錯綜する暗闘劇に思わず息をのむはずだ。
当時、住銀にとっては、多額の不良債権を抱えながらも自主再建に望みをかける平和相互銀行を吸収合併できるかが最大の課題だった。関西系の住銀が関東で地盤を固めるために、平和相銀は絶対に手中に収めたい存在だった。
その実務を担った國重氏や住銀幹部は時に協力者や担当省庁の大蔵省(現財務省)の事務次官をも欺きながら、水面下で工作を進める。その過程では、当時の大蔵大臣・竹下登や首相・中曽根康弘などビッグネームも頻出する。
表向きは関心のないふうを装いながら、焦らず、熟柿が落ちるのを待つ。目的のためには手段を選ばない。葬り去られたはずの金融史の闇をのぞくことができる。
著者は國重氏の部屋で銀行時代の辞令をいくつも見つける。そして、本書の最後で國重氏に問いかける。なぜ銀行を離れなければならなかったのか。本当に私生活の問題からなのか。銀行を誰よりも愛し、出世レースの先頭を走っていたのに、後悔はないのか。果たして、サラリーマンにとっての正しさとは何なのか。住銀のウミを出し切ろうとするも叶わず、國重氏は頭取を面罵したという。「半沢直樹」になれなかった男の言葉は重い。
※週刊東洋経済 2021年2月20日号