命の選別。重く響く言葉である。そして、その現実は暗くて深い。『ルポ「命の選別」 誰が弱者を切り捨てるのか?』では、「優生社会」のさまざまな問題点が明らかにされていく。
優生思想など過去の遺物と思われるかもしれないが、それは間違えている。国家が強制したトップダウンの優生学ではなく、リベラル優生学とも呼ばれる、個人が望むボトムアップの新しい優生学が横行し始めているからだ。
その要因は大きく2つある。ひとつは生命科学の大きな進歩。もうひとつは、ゆがんだ社会観とでも呼ぶべきものから生み出される誤った考え方。
前者には、出生前診断(特に妊婦の血液検査で簡単に染色体異常がわかる新型出生前診断)、受精後の早い段階で胚の遺伝子異常を調べる着床前診断、そして、2020年のノーベル化学賞を受賞したゲノム編集技術の3つがある。
このような先端技術を用いて、先天的な異常のある子供を「淘汰」できるようになっている。さらに、将来的には、望ましい形質を有したデザイナーベビーが可能になるかもしれない。
そのような「ネオ優生学」を認めていいのか。科学技術そのものに善悪はない。あくまでも使う人間の問題だ。人類は今、その選択を迫られている。
津久井やまゆり園でおきた相模原事件は誤った優生思想によるいびつな犯罪で、自分には無関係だと思いがちだ。しかし、社会全体が障害者を入所施設に入れることを望んでいるのではないかという指摘を受けると、見え方が変わってきはしないか。我々も当事者なのではないだろうか、と。
「優生社会」の問題点として、他に、障害者施設建設に対する反対運動と、障害を持った子供を引き取らない親の存在が取り上げられている。
どれもが具体的な事例をあげて解説されているので、身近な問題としてとらえることができる。そして、誰もが考えなければならない問題だという現実がいや応なく突きつけられ続ける。
河合香織の『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』は大宅壮一ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞のダブル受賞作。出生前診断でダウン症と判明していたのに、産科医の見落としで告げられないまま出産。異常があれば中絶をと受けた検査だったが、生まれてきた子がどんどんいとおしくなっていく。しかし、いろいろな障害を持った子は3カ月で亡くなった。
ロングフルライフ(Wrongful life)訴訟(医師の過失がなければ苦痛に満ちた自分の人生が回避できたはずという訴訟)がおこなわれた。自分が生まれてこなければよかったとは何と悲しい訴えなのだろう。この事例を軸に、出生前診断と人工妊娠中絶についてのさまざまな問題点が紹介されていく。
『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』は、命の選別を巡る雨宮処凛の対話集。3冊とも重い内容の本だが、ぜひ読んでおきたい。
日経ビジネス2020年12月25日号から転載
第50回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。これほど生命倫理について考えさせられる本はそうありません。
時代は次第に不寛容になってきているのではないか。この本にも考えさせられます。