みなさま、ウィリアム・サーストンという数学者をご存知でしょうか? サーストンはご存知なくても、「100年の難問」と言われたポアンカレ予想と、それを肯定的に解決したロシアの数学者ペレルマンのことは聞いたことがあるかもしれません。実は、ペレルマンが解決したのは、サーストンが1980年に提唱した「幾何化予想」だったのです。ポアンカレ予想は、幾何化予想の小さな一部なので、ペレルマンは結果として(幾何化予想を解決するついでに)、ポアンカレ予想も解決することになったわけです。世間的にはポアンカレの名前ばかりが喧伝されましたが、ペレルマンが格闘したのは、サーストンの幾何化予想だったのですね。ポアンカレはトポロジーという分野の生みの親(の一人)ですが、サーストンはトポロジーの世界を一新した革命家と位置づけられる数学者なのだそうです。
ここにご紹介する『サーストン万華鏡 人と数学の未来を見つめて』は、そんなサーストンの数学観や、数学と社会との関わりについての彼の考えに迫ることを目指して、八人の日本人筆者が、それぞれ異なる角度から多次元的にアプローチする、たいへんユニークな本です。
サーストンが若くしてぶつかった、「分野に人がいなくなる事件」!?
ウィリアム・サーストンは、1946年生まれのアメリカ人で、カリフォルニア大学バークレー校で博士課程を終えたのち、1974年には、若干27歳にしてプリンストン大学教授に抜擢されます。プリンストン大学の数学科は世界中から俊英を集めている場所なので、よほど周囲に期待されていたのでしょう。実際、サーストンは大学院時代からフォリエーション(葉層)という、当時注目されていた分野で傑出した成果をいくつも挙げたらしいのですが、その結果、フォリエーションの分野に入ってくる若手がいなくなり、「サーストンが分野を殺してしまっている」とまで言われたそうです。それは褒め言葉でもあったらしいのですが…。
大きな成果が立て続けに挙がって眺望が開け、やるべきことは山積しているというのに、なぜ人がいなくなってしまうのか? 不思議に思ったサーストンはいろいろ考えてみて、原因は、次のふたつかもしれないと思ったようです。ひとつには、サーストンの発表したような論文(数学では、ある意味普通の論文)は、その分野の専門家だけによって共有される知識がなければ理解できないため、これから専門分野を決める大学院生にとっては、フォリエーションという分野のハードルを挙げる役目を果たしてしまったのかもしれないということ。もうひとつは、サーストンは当時、他の数学者が知りたいと思っているのは「答え」であり、「定理」であると考えていたそうなんです(まあ、普通はそう考えますよね)。しかし、実は、人々が手に入れたいのは、「自分なりの理解」なのではないか、ということです(余談ながら、サーストンはこのように考えた結果として、当人はプログラミングの達人でいちはやくコンピューターの可能性に着目した数学者でもあるらしいのですが、コンピュータによる証明は、人間向けの理解を与えてくれるものではないと考え、その意味においては否定的だったようです)。そして(サーストンの言うところの)DTP(Definition Theorem Proof)のプロセスでは、論文を書いた数学者の思考のリアルな感じは伝わらず、DTPで表現されたものを読んでもわかった気はしないだろうと考え、現行のDTPスタイルによる数学の進め方に疑問を呈したというのです。
編者であり執筆者のひとりでもある藤原耕二氏(京都大学教授)の「サーストンの数学観を読み解く」と題する記事の、そのくだりを読んだ私は、ふと、ガウスのことを思い出してしまいました。数学者の王とも称されるガウスは、「尻尾で足跡を消してあるく狐」などとクサされることがあるのです。思考のプロセスを完全に消し去ってわからなくさせる狡猾なやつ、というのが基本的な意味だと思います。でも、もしかするとそれはガウスが狡猾というより、DTPプロセスを突き詰めるとそうなってしまうということなのかもしれません。しかし、それをやっていたのでは、数学者の頭の中で生き生きと活動しているイメージや、その数学者ならではひらめきや手がかりは、読む者に伝わりません。その伝えにくいところこそが、数学のコミュニケーションや教育において大切なのでは? では、どうすればいいのか? それを伝えることはできるのか? こうした問題について考えることが、サーストンの、いわばライフワークになったようなのです。
藤原氏の記事は、数学に詳しいわけではない人にも、「数学とは何をするものか、何を目指すのか」について、サーストンの目線の先にあったものに目を向けさせてくれる、魅力的で深まりのある記事だと思います。わたしは得るところが多かったです。
サーストンとパリコレ
実はサーストンは、2010年のISSEY MIYAKE のパリコレに協力したのだそうです。そのコレクションのタイトルは、「ポアンカレ・オデッセイ」。しかし日本ではほとんど報道されず(サーストンは、一般には「無名」だから?)、私も本書を読むまでそのことを知りませんでした。また、それを知ったときも、「でもまあ、数学は数学だし、コラボと言ってもねぇ」というのが、わたしの第一印象でした。本書には、日本のISSEY MIYAKEのアトリエにおいて、数学コーチとしてこのコラボに参加された阿原一志氏(明治大学教授)が記事を寄せていらっしゃいます。
それによると、当時、ISSEY MIYAKEのクリエイティブディレクターであった藤原大氏(現:多摩美術大学教授)が、次項で取り上げるNHKのテレビ番組『ポアンカレ予想』に触発されて、まず、小島定吉氏(当時は東工大教授)にアプローチしたところ、小島氏は、ISSEY MIYAKE のアトリエで、双曲タイリングで曲面のパッチワークを制作するワークショップを開き、藤原氏に大きな影響を与えたそうです。その後、藤原大のISSEY MIYAKE チームはアメリカに飛び、サーストンに接触。サーストンはこのコラボレーションにとても前向きで、今度は(二次元タイリングではなく、三次元で)粘土を使うワークショップを開いてくれたそうです。パリコレの現場でも、サーストンは、舞台上のパフォーマンス、舞台装置に参加したほか、ISSEY MIYAKE MEETS MATHS と題するイベントでは、「藤原大とウィリアム・サーストンは、オレンジの皮をむき、ドーナツを食べるパーティーにお招きいたします」との招待状を作成。その会場でもサーストンはパフォーマンスを行ったそうです。
さらにサーストンは、ISSEY MIYAKE がテキスタイルに利用できるようにと、ケルティックな雰囲気の、八つの幾何学を表すデザインを提供したというのです(その八つは本の表紙にあしらわれていますが、それぞれが何を表しているかについては、本の中で知ることができます)。このデザインについて小島氏は、
小島「(前略)サーストンが贈った八つの結び目・絡み目を前に、これがステキスタイル向けの八種類の幾何の説明なのかと久しぶりに彼の心の感性に触れ。深く感動した」
と述べていらっしゃいます。かけ離れているように見えるハイファッションと数学というふたつの分野が出会い、藤原大氏とサーストンが、それぞれの感性で接点を模索する姿、とりわけサーストンがとても誠実に、そして懸命にこのコラボレーションに取り組む姿に、わたしは夜中にひとり本を読みながら、不覚にもぽろりと涙がこぼれてしまいました。サーストン、いい人だ…(素朴すぎる感想ですみません^^;)
物理的空間(宇宙)と数学的に定義された空間は違う!
2012年にNHKは、『ポアンカレ予想・百年の格闘~数学者はキノコ狩りの夢を見るか』という番組を放映しました。わたしもその番組は見たのですが、番組の全体としての枠組みが「宇宙の形」を決める数学、というものになっていました。つまり、ポアンカレ予想は、宇宙の形を決めることに関係しているというメッセージを、番組として大きく打ち出していたのです。
わたしはえらくがっかりしました。だって、宇宙の幾何学を決めるのは観測であって(現状、宇宙はかぎりなく平坦だということがわかっています)、数学の定理ではないのですから。そんな科学的に基本的なことをないがしろにしてまで、わかりやすさ(だと制作者側が思うこと)を押し出してくる製作姿勢にわたしは落胆し、ひどく後味の悪い思いをしました。で、なんと、その番組の制作にあたったプロデューサーの春日真人氏が、「想像を超えた知的体験~再現・サーストン博士インタビュー~」という記事を本書に寄せていらしたのです。
その記事には、サーストンと春日氏たちとのあいだで繰り広げられた「宇宙の形」をめぐる攻防が、何ページにもわたって克明に記されていました。サーストンは、「私の口から怪しい宇宙論を語らない方が賢明でしょう」と述べ(インチキ宇宙論はやりたくない、ということですね)、「物理学で言うところの宇宙の形」と「幾何学で定義される空間の形」を関連付けることを警戒していたようです。サーストンは、次のように語っています。
サーストン:個人的には、宇宙について話すより、多様体についてストレートに話した方が違和感は少ないと思います。人々(視聴者)には、宇宙の知識はあっても、多様体の知識はないでしょう。未知の状態のはずです。だからこそ、まったく新しいイメージを形づくることができる。視聴者の頭の中に少しだけ植え付けることができます。
しかし、サーストンとNHKサイドの立場は平行線に終わり、結局、製作者側の初期の考えに沿った番組づくりになってしまったわけですが、私は春日氏のその記事のおかげで、サーストンの考えを知ることができ、とてもとても嬉しかったです。ああ、ほんとに嬉しい! そして、春日氏がそれをきちんと記録してくれたことに感謝したい気持ちになりました。(嬉しかったものだから、「一般向けの数学のテレビ番組を作ることにはご苦労もあるのだろうなぁ」などと製作者サイドを思いやる心の余裕もできました(笑))
最後に 『サーストン万華鏡』は万華鏡だ!
本書には、かなり数学プロパーな章もいくつかあります。そういうところは私にはよく理解できませんでしたが、それでも、数学にはこんな分野があるんだ、そしてサーストンはそういう分野で、まるでマジシャンのようにアイディアやイメージや数表を、どこからかスッと取り出してくるんだ、という実例を(よくわからないなりに)垣間見ることができて、サーストンがどんな数学者だったのかが(そしてまわりの数学者には、それがどんなふうに感じられたのかが)、感覚的にちょっとわかった感じがしました。これは得がたい経験です。
数学的な章のひとつに、小島氏による 第V部サーストンが残したもの、第九章Eightfold Way があります。Eightfold wayと言われると、私の世代の物理系の人だと、クォーク・モデルを提唱したマレイ・ゲルマンの「八道説」を思い出すのではないでしょうか。しかしサーストンの文脈では、この言葉は、なんともカジュアルに「八曲がり道」と訳されるのだそうです。この訳語のあまりの気取りのなさに、わたしはなんだか楽しくなって、うふふふと笑ってしまいました。そして、それを説明する図を見ると、「なるほどこれは八曲がり道」だと納得がいきました。(図は本の中で見られます! 楽しいですよ!)
広中えり子氏(フロリダ大学数学教授を20年間勤められたのち、現在はアメリカ数学会の書籍プログラム上級編集者)による、サーストンの学生やポスドクたちのつぶやき集は、悲喜こもごもで、何度も声を出して笑ってしまいました。数学者として、教育者としてのサーストンが浮かび上がる、楽しくて秀逸な章だと思いました。
サーストンは、2012年に66歳で他界しましたが(メラノーマで、発見後の進行が早かったそうです)、生前、一般向けに幾何化予想について説明をするときには万華鏡を使い、色を八種類の幾何構造、細片を多様体のピース、鏡映模様を幾何学的ピースに分解された3次元多様体にたとえたそうです。本書のタイトルはそこから取られているのですが、それだけでなく、わたしが本書を読みながら感じたのは、サーストンの問題意識が向けられる先に、その場所ごとに浮かび上がる数学の姿が、まるで万華鏡みたいだ、ということ。そしてまた、八人の筆者がそれぞれに描き出そうとするサーストンの世界が、万華鏡みたいだ、ということでした。筆者はどなたもプロのライターさんではなく、読者を感動に導くような書き方をしてらっしゃるわけではありません。けれども、サーストンの世界を手探りしながら、誠実に、ときに朴訥に語られる物語が組み合わさると、思いもよらぬ豊かな世界が浮かび上がるのです。これは贅沢な経験だと思います。きっとサーストンは、本書の刊行を喜んだに違いありません。