本書は、米ハーバード大学医学大学院教授で長寿と加齢研究の世界的権威であるデビッド・A・シンクレアらによる、われわれの生命観と人生観を覆す、まったく新しい生命科学書である。
本書の要旨は、「老化は自然の摂理ではなく病気で、治療によって治すべきだし、実際に治すことができる」というものだ。もちろん、2000年前に秦の始皇帝が不老不死の薬を求めたような怪しげな話ではなく、老化のメカニズムの解明という最新の研究成果を踏まえたものである。
その科学的根拠となるのが、長寿遺伝子のひとつ「サーチュイン遺伝子」だ。この遺伝子を活性化させる化学物質の研究を行っていた著者らは、遺伝子の修復機能にNAD(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)が重要な役割を果たしており、この物質の前駆体(生化学反応において特定の生成物の前段階にある物質)を投与することで老化した細胞が若返ることを発見したのである。
これまで老化の原因は、遺伝情報を持つDNAの損傷だと考えられてきた。一方、著者らが老化の原因と考えたのは、細胞がDNAを読み取るシステム(環境に応じて、さまざまな遺伝子のオン・オフが調節される機能)の劣化だ。
原初の生命が誕生した頃の地球は、超高温や超低温、宇宙からの放射線、極端な乾燥など、生物にとって極めて厳しい環境だった。そのため、原初の生物は、DNAが傷つくと細胞分裂や生殖といった再生産活動を中止し、傷ついたDNAの修復に専念した。
これが、生物の持つサバイバル回路であり、このおかげで生物は40億年前の厳しい地球環境下でも生き延びることができた。現存する生物は、すべてそうした回路を遺伝子レベルで引き継いでいる。
そして、本書によると、この回路を利用して遺伝子の傷を消すことで、老化を防げるというのである。その若返り効果は、まだマウスでの実験で確認された段階だが、著者とその父親は自らが実験台になって試薬の摂取を始めていて、その劇的な効果が確認されつつあるという。
寿命を延ばそうとする試みには、倫理的、社会的観点からの反対も多いという。しかし本書の長寿は、レイ・カーツワイルのいう「シンギュラリティ」やユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』が描いたような、人間が機械に置き換えられていくディストピア的なものではなく、生身の人間の健康寿命を120歳以上に延ばそうというものだ。
そして何より、本書にある「善きサマリア人」の実験に見られるように、時間に追われて生き急ぐ人よりも、そうでない人のほうが、より利他的で、人間らしい豊かな人生を送れるというものである。
本書がこれまでのアンチエイジング本と違うのは、単なる科学技術の記述だけではなく、人口増加、環境問題、格差拡大、さらには長寿化によって社会がどう変わるのか、それにどう対処すべきかなど、社会制度や人生観といった問題の記述に、かなりの分量を割いていることである。
「人生100年時代」を超えて、寿命のくびきから解放された人類はどう生きるべきなのか。本書は、そうした哲学的問題を含む新たな啓蒙書である。
※週刊東洋経済 2020年9月26日号