「先が見えない時代には歴史を振り返れ」と、よく聞く。人間の本質は今も昔もそれほど変わらないからだろう。陳腐な言葉だが、歴史は繰り返す。
新型コロナウイルスを巡っては科学と政治・経済の対立が浮き彫りになった。感染拡大を徹底して抑えるべきか、経済を優先すべきか。コロナ対策と経済優先は二項対立なのか。議論は混迷した。
こうした中で、「今の政治が悪いんだ」と声高に叫ぶ人もいたが、足下の状況を、現在の政権や医学者の問題と簡単に切り捨てられないことは本書を読むとわかる。感染症の歴史は利権を巡る対立の歴史である。そして、感染症対策の意思決定は今も、長い時を重ねて固定化された構図の中で行われている。
PCR検査を受けられない。新型コロナが日本を襲いはじめた頃、こうした悲鳴がSNS上に広がった。むやみに検査数を増やすと保健所がパンクするというのが理由だった。国が対応できないならばと、いくつかの大学がPCR検査を実施する用意があることを表明したが、黙殺された。
著者は、この背景にある最大の問題は省庁の利権争いだと指摘する。疾病対策などの医療行政は厚生労働省、教育は文部科学省といった「縄張り」について聞いたことのある人は多いだろう。恐ろしいことに、この縄張りは明治初頭から第2次世界大戦をまたぎ、約150年続く暗黙のルールとなっている。国民の健康より省益が優先され続けた歴史に、新型コロナは新たな1ページとして加わったのだ。
とはいえ、日本が特殊なわけではない。感染症を巡る利権争いは海外のほうが露骨かもしれない。HIVや新型インフルエンザに対して、研究者や政治家がいかに倫理感を捨て振る舞ってきたか、多くの事例が記されている。
今回、米国では、大統領選挙をにらみ景気悪化を避けようとしたトランプ大統領の姿勢がコロナ対応を遅らせたと非難された。だが、時の為政者が、自分に都合のよいよう感染症に向き合ってきたことも本書は教えてくれる。
もちろん、利権に縛られることに抗った人もいる。日本ならば、「近代医学の父」と呼ばれる北里柴三郎だ。彼は、行政や学閥に支配されず、科学者として「白いものは白い」と言い続けた。それがいかに難しいか、北里の苦闘がわかりやすく書かれているので、その箇所だけでも読む価値がある。
コロナ禍では感染者差別の問題も明るみに出た。感染したことで会社を辞めた人や自ら命を絶った人までいるとの報道もある。テレビなどでは「日本人が昔に比べて、他者に攻撃的になった結果だ」という論調もあったが、それは過去を美化しすぎだろう。感染者に投石し、村八分にするのは日本の「伝統芸」であると本書は克明に記している。
「隔離」は感染症対策の基本だが、元患者や家族が日常生活を送れなくなるのは異常だろう。例えば、ハンセン病は21世紀になってようやく、患者への隔離政策に違憲判決が出た。しかし、その後も元患者への差別がなくならないのが日本の現実だ。
社会をすぐに変えることはできないが、社会の仕組みを知ることはできる。混迷の時代に読むべき一冊だ。
※週刊東洋経済 2020年9月19日号