“不可能” を追い求めた科学者の冒険 『「第二の不可能」を追え! ― 理論物理学者、ありえない物質を求めてカムチャツカへ』

2020年9月20日 印刷向け表示
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「第二の不可能」を追え! ――理論物理学者、ありえない物質を求めてカムチャツカへ

作者:ポール・J・スタインハート
出版社:みすず書房
発売日:2020-09-03
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ラジオ体操じゃあるまいし、不可能に第一とか第二とかあるのか。『「第二の不可能」を追え!』というタイトルを見たら誰しもがそう思うだろう。その違いは冒頭で説明される。第一の不可能とは、けっして1+1が3にならないように、絶対的な不可能のこと。未来永劫、可能になることがありえない不可能である。

それに対して、「第二の不可能」とは、必ずしも正しいとはいえない前提に基づいた不可能のことを指す。言い換えると、それまで不可能と信じ込まれていたものが可能になる可能性がある不可能である。なんだか、可能と不可能が入り乱れた判じものみたいな文章になってしまったが、そのような不可能も確かに存在しそうだ。

本書の第Ⅰ部の題は「不可能を可能にする」だ。論理的におかしいような気もするが、「第二の不可能」ならば、ありえない話ではない。それに、「不可能を可能に」というのは、私にとって聞き馴染みのある言葉なのである。

いまを去ること30年前から約5年間、京都大学の本庶佑先生の研究室で助手(現在の助教)、講師を務めた。自慢ではないが、「完璧なる不肖」の弟子である。当時、先生がよくおっしゃっておられた言葉に、「Stick to the question(問題にこだわれ)」と「不可能を可能にしたいんや」というのがあった。

前者は納得だ。研究者として最も重要なことは、自ら設定した問題に執念を持って取り組むことである。それに対して後者はやや理解に苦しむ。不可能とは可能でないことを意味するのだから、論理的に破綻しているではないか。それに、そんな無茶な理屈で無理難題を押しつけられたりしたらたまったものではない。

本庶先生がノーベル賞を受賞された研究は、がんの免疫療法の開発である。ずいぶんと昔から、がんの免疫療法は原理的には可能であると考えられていた。しかし、膨大な研究にもかかわらず、なかなか有効な方法が開発されなかった。可能なはずなのになかなか実現化されそうにない「第三の不可能」とでも呼べるような状態にあった。

ノーベル賞ご受賞の知らせを聞いた時、本庶先生はホンマに不可能を可能にする男やったんや、と、あらためて感心した。わからなかったこちらがアホやっただけなのである。

すみません、懐かしの言葉に思い出話がつい長くなってしまいました。本題、『「第二の不可能」を追え!』の著者、ポール・スタインハートの話に戻ります。

宇宙物理学を専門とするスタインハートだが、ちょっとしたきっかけから、「準結晶」という状態─水晶のような結晶でもない、結晶構造を持たないガラスのようなアモルファスでもない状態─がありえるのではないかという理論を思いつく。

最初に考えたのは「五回対称性」の準結晶なのだが、物理学の「常識」から、そのような対称性を持つ結晶などありえないとされていた。ん?なんや、その五回対称性というのは、と思われるかもしれない。説明すると長くなってしまうので省略するが、この本ではそういった内容が、豊富な図や写真を用いてわかりやすく上手に解説されている。

とはいえ、そのような準結晶がありえるというのは、あくまでも理論上のことにすぎない。実際に存在するかどうかは完全に別問題だ。しかし、なんと、ちょうど同じころ、そのような理論などまったく知らないダン・シェヒトマンによってひっそりと作成されていた。

まったく偶然にその準結晶物質のことを知らされたスタインハートはどれだけ驚いたことか。そのシーンを読めば、こちらの鼓動まで高鳴ってくる。ちなみに、シェヒトマンは後に、「準結晶の発見」でノーベル化学賞を受賞している。

次の問題は、準結晶が自然界に存在するかどうかだ。幸運な出会いと執念の探索によって、スタインハートたちは自然にできた準結晶と思われる鉱物を見つけ出す。そして、さまざまな解析から、準結晶に違いないという結論に達し、科学者にとって夢の雑誌のひとつ、超一流雑誌『サイエンス』に論文を発表する。

だが、分野の大御所二人が、その鉱物は自然にできたものではなく、人工産物ではないかという疑義を呈し続ける。研究者にとっていちばん恐ろしいのは誤った内容の論文を出すことだ。スタインハートらは悩みに悩む。だが、とうとう最後には、自然物でしかありえないという有無を言わさぬデータを手に入れる。

興奮、不安、緊張、落胆、歓喜。まるでジェットコースターに乗せられたかのような展開に、もう十分といいたくなるところだが、話はまだ三分の二でしかない。この第Ⅱ部まではサイエンティフィック・アドベンチャーなのに対し、残る第Ⅲ部はリアルアドベンチャーである。

『サイエンス』誌に発表した準結晶はカムチャツカのとんでもない奥地で採取されたものだった。さらなる研究のため、その場所にまで準結晶のサンプルを探しに行くことを決意するスタインハート。隊長はもちろん自分なのだが、キャンプの経験すらないトホホな隊長である。さて、その冒険と採取の結果やいかに。

第二であろうが第三であろうが、不可能を可能にできる研究者など、ほんの一握りでしかない。不可能を可能にする洞察力。不可能を可能にできると判断してからの執念。優れた共同研究者、そして幸運。本庶先生とスタインハート先生に共通する多くの事柄に思いを巡らさずにいられなかった。

パブリッシャーズ・レビュー(2020年秋号9月15日発行、第35号)から転載

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