葛飾北斎は「為一」や「卍」など30以上画号を変え、90回以上も住居を変え(近所でぐるぐると回る説もあり)、描くテーマも浮世絵から漫画、さらに春画まであらゆるジャンルを描いてきた。私は北斎に強く影響を受けており、何より晩年作品の繊細さと完成度には、人の表現はここまで進化するのかと驚いた。
画家といえば、ピカソも長寿で多作である。その数は生涯14万点を超える。青の時代における絵画から、キュビズムまでその作品の多様性には北斎と共通する。ただ1人の人間から生み出されるエネルギーや力強さなどは一貫している印象があり、北斎の晩年におけるタッチの繊細さと、うすぼんやりとした心の闇を表すような暗さはない。実際に「富士越龍図」など絶筆の北斎作品を観ると、まるで別人格になったような違和感と魅力がある。
本書は画家・葛飾北斎の娘に焦点をあてたものだ。当時は江戸ナンバーワンの人気絵師である北斎の元に、その絵の技術を手に入れようと、多くの弟子希望者が現れた。ただ本人は、これといって指導することはなく、ほとんどは才能が無く興味もなかった。ただ1人、三女のお栄を除いて。極端に不愛想でありコミュニケーションが下手な父から目がかかるのは、しっかりとした画力があるからだ。それを裏付ける証拠として、若干14歳で絵師として仕事を任せられている記録がある。
明治26年に刊行された『葛飾北斎伝』によると、お栄の容貌はアゴが極端にでており、お世辞にも美人とはいえなかったらしい。そして父と違い酒もタバコも嗜む。父の手伝いをする中で縁談があり、一時は絵師の元に嫁いだが、亭主の作品に「下手クソ」と言ってしまい、家を追い出され再び北斎の家に戻る。北斎は制作中、よくおうい、おーい、とお栄を呼んだ。北斎の壮大な画業を支えた共作者、お栄の画号はここからきている。父の仕事を幼い頃からつぶさに知る彼女は、北斎から「美人画を描かせたら俺より上手い」と言わしめた。
本書では、応為が北斎のゴーストライターだったのではないかという説を、様々な絵や証拠を挙げながら検証していく。疑問が次の疑問の引き金となって、次々と謎解きが繰り返される。そのうちの応為の人生が浮かび上がり、最後にたった一つの謎が解き明かされるという構成だ。後半に進むにつれて畳み掛けていくミステリー小説のような展開で、先が気になりつい読めてしまう。
それもそのはず、著者は構成作家として数多くのテレビ番組を制作した人物だ。2015年NHK「もうひとつのショパンコンクール」でUS国際フィルム&ビデオ祭・ゴールドカメラ賞(アート部門第1位)、2017年NHK「4人のモナリザ」でATP賞テレビグランプリ優秀賞を受賞している。本書の内容は、BS「北斎ミステリー~幕末美術秘話 もう一人の北斎を追え~」に新たな取材を加えて幻の絵師の半生を浮かび上がらせたノンフィクションだ。
紹介される応為の作品を観察していくと、その陰影描写には目をみはるものがある。当時の男性が描く遊郭は、明るすぎて昼間のようであり、吉原の雰囲気は全く出せていない。ところが、応為の描く『吉原格子先之図』では薄く甘い光の濃淡が描いている。通常、浮世絵や屏風絵には影が存在しない。あったとしても単純な影であり、応為のように何段階もグラデーションがかからない。彼女の描く遊郭には男と女、世知辛い境遇の中でも一瞬忘れることのできる儚い夢が映し出されている。これはデッサンもアイデアも常人ではならざる巨人・北斎の存在の闇にまぎれた、彼女独自の表現方法だったのかもしれない。
美術好きはもとより、北斎に少しでも興味があるなら、歴史の闇に隠れた女性の鮮やかな生涯を知ってほしい。
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