新型コロナウイルス、誰一人として影響がなかった人はいないだろう。しかし、その影響の受け方は、それぞれの人によって違う。いまさらながら、そのことがよくわかった。
緊急事態宣言が出された4月7日あたりから、ゴールデンウィークの頃まで。総勢77名の人たちによる日記である。どのように依頼されたのか、どのように編集されたのかは定かでない。ひとりあたりのページ数は似たり寄ったりだが、形式や文体はまちまちだ。毎日こまめに書いている人もいれば、長いのを数日分の人もいる。中には漫画もある。プロの作家から市井の人までさまざまな書き手だが、みんな上手い。
いろんな仕事に降りかかった出来事について、新型コロナウイルスの影響が報道された。しかし、どうしたって他人事として描かれざるをえない。それに、多かれ少なかれ、誇張がありそうだ。逆に、うまく伝えきれなくて矮小化されていることもあるはずだ。
この本は違う。当事者による等身大の記録である。日記を書いた人たちの仕事の種類はじつにさまざまで60種類にもおよぶ。それが、12のカテゴリーに分けられている。ⅠからⅩⅡまでが、順に、「売る」、「運ぶ」、「闘う」、「率いる」、「添う」、「描く」、「書く」、「聞く」、「創る」、「守る」、「繋ぐ」、「導く」、となっている。
あまりに有名なアンナ・カレーニナの書き出し「幸福な家庭はどれも似たようなものだが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」が思い出される。それぞれの苦悩は極めて各論的で、とてもすべてを紹介するわけにはいかない。Ⅳ「率いる」とⅤ「添う」に絞ってみる。
ホストクラブを中心に約20軒の店を経営する手塚マキ氏と神奈川県にある桐光学園中学校・高等学校の校長・中野浩先生、お二人の分が「率いる」日記だ。不思議な組み合わせのような気がするが、いずれも大人数を率いるトップであることには違いない。
経営者にとって最大の問題は資金繰りである。緊急事態宣言の翌日、手塚氏は、従業員に最低金額を保証することをすぐさま決定。そして、その次の日には、水商売協会の代表として「中小企業融資から水商売が除外されている」ことと、「現実的にクラスターを生み出さない案」を自民党本部で政調会長に直訴。すごい決断力と行動力だ。
「耳の中にドリルを突っ込まれて頭蓋骨を削っているような音で目覚め」たり、「シンナーでラリってしまう夢」を見たりしたというのは、ストレスが強すぎたのだろう。そこまでして精一杯の努力を続けたが、予想を上回る大きな赤字。そのような状況でのちょっとした判断のミスから、酷い会社だと広められてしまう。
政策金融公庫に来た。先輩の怒鳴り声が聞こえた。その先輩に「事務所で高いワインを開けようぜ」と誘われた。こんな時は飲むしかないだろう、と100万はするワインを昼下がりから飲む。
いったい、どんな味がしたのだろう。
中野浩先生は、この本で唯一、個人的に面識のある人だ。その頃はまだ校長先生ではなかったけれど、2年ほど前、講演にお呼びいただいた時にお目にかかったのが懐かしい。休校期間が延びるにつれて切迫感が強まる中、さらに延長せざるをえない決断に苦渋がにじむ。それでも中野先生は前向きだ。
ピンチはチャンス。この絶対的なマイナスの局面をプラス思考で乗り切っていくことが大切だと思う。 ――中略―― このピンチの中でも一番の収穫だったのが「学校」という存在意義が見えてきたことではないか。
なにも悪いことばかりではない。そう捉えることができるかどうかが、ポストコロナの時代に人を大きく分かっていきそうだ。
「添う」には、葬儀社スタッフ、馬の調教師、水族館員、教師、美容師、ピアノ講師、客室乗務員、介護士の日記がある。
お葬式ができるって、ありがたいね。
新型コロナウイルス感染が疑われたけれど、結局は肺炎であった方のご遺族の言葉である。3密を避けておこなわれたイレギュラーで少人数のお葬式であったけれども、この言葉。当たり前のことをありがたがることができるというのは、幸せなことなのかもしれない。
おそらく一周忌の頃には、あんなこともあったね、と笑いながら話せるようになるだろう。
ぜひ、そうなってもらいたい。この本を読んでいると、いちいち、ほぉそんなことがあったんですか、とか、あぁそれはそうでしょうね、と相づちをうちたくなってしまう。
競馬は無観客、水族館は休館、学校は休校。だけども仕事の負担はむしろ増えて大変だ。客室乗務員と美容師は仕事がなくなってしまう。こっちの方がもっと大変だ。それより、いちばん大変なのは、こんな時でも止められない介護の仕事なのかもしれない。世の中は、ふだん感じているよりも大変な仕事であふれているのだとあらためて思う。
77人の中でいちばん日常生活が変わらなかったのは、たぶん小説家の町田康さんである。バンド修練が中止になった以外は、ほとんど影響がなかったようだ。日記でもいつもの町田節が炸裂し続ける。それでも、「えらいすんまへん」とかの謝り言葉がやたらと繰り返されるのは、あまり変化がなかったことを気にしておられるからだろうか。
日記を書いた人たち、男女比はおよそ2:1で、年齢はバラバラ。内容はさまざまだが、不安、心配、いらだち、焦燥など、多くの日記に共通していることがある。しかし、前向きにとらえよう、がんばろう、という決意もたくさんある。
きっと日記の効用だ。そういった意欲を持ちそうな人に日記が依頼されたのではなく、日記を書いていると、そういう気持ちになってくるのではないか。苦しいけれど、前向きな日記。この本、将来、COVID-19の貴重な記録になっていくに違いない。
人は忘れる。今からでもいい。あなたも、忘れないうちに新型コロナウイルス禍の日々を書き留めておかれてはどうだろうか。もちろん前向きな気持ちを込めて。そうすれば、いつかまたくるパンデミックの時、きっと自分に役立つメモワールになる。
手塚マキ氏の本。タイトルがなかなか示唆的です。
桐光学園では、中野浩先生が始められた「大学訪問授業」がおこなわれていて、毎年、その講演録が出版されています。HONZの東えりかもオススメです。
一年前の分。講師の顔ぶれを見ると、お話させていただけたのが光栄に思えます。なんと、質疑応答が1時間にもおよぶという自己レコードを記録しました。楽しい思い出です。
新型コロナウイルス禍、こちらは日記ではなくて思想です。わたしも「オオカミが来た!―正しく怖がることはできるのか」で寄稿しています。
素粒子物理学を専攻したイタリア人小説家が描くコロナな日々。HONZでは堀内勉がレビュー。