発売直後から、私のSNSのタイムラインには「あの名作がついに」「まさかのコミック化」と、賛辞のコメントが相次いだ。独ソ戦という、日本ではあまり知られることのなかった出来事が、なぜこんなに多くの人の心を動かすのか? 思わず手に取らずにはいられなかった一冊だ。
原作は、2015年にノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチのデビュー作である。独ソ戦に従軍した500人以上の女性に、気の遠くなるような時間をかけて話を聞き回り、戦争の記憶を一冊にまとめた。ともに語り合い、ともに沈黙し、ともに泣きながらつづられたインタビュー集だが、彼女の祖国ベラルーシでは、長らく出版禁止とされてきた。
舞台となった独ソ戦は、第2次世界大戦と呼ばれる複合的な戦争の中でも、あまりに特殊な位置づけだ。なにせ双方のリーダーが、ヒトラーとスターリンである。その戦いは、相手を降伏させることではなく絶滅させることが目的であったため、「絶滅戦争」と呼ばれることも多い。序盤、ドイツ軍の電撃戦に手を焼いたソ連軍は、各地で時間を稼ぐために消耗戦へ突入していく。
人種戦争という世界観を掲げて戦ってくるドイツに対し、性別や民族の多様性を強みにして戦ったソ連。このように表現することもできるかもしれないが、そんな単純な話にはもちろん収まらない。
100万人を超える女性が従軍して命を懸けたものの、大変なのは祖国に帰ってからである。戦争が終わると、いつの間にか男性支配の社会へと戻り、その中で従軍女性たちは白い目で見られ、戦争の記憶を心の奥底に閉じ込めた。一人ひとりのその後の人生も含めて考えれば、本書のタイトルの意味はより深みを増す。
戦争という状況の恐ろしさは、日常と非日常が完全に入れ替わってしまう点にある。毎日当たり前のように繰り返される異常事態。そんな中で、平時では見落としてしまいがちなささいな出来事こそ、特別な出来事になる。
さらにコミックでは、戦時におけるつかの間の日常へ向けられる女性たちの言葉がビジュアルの中にプロットされることで、より一層重みが引き立っている印象を受ける。
あたしは夫を葬るんじゃありません。恋を葬るんです
戦争中に愛する夫を失った軍医は、その亡骸(なきがら)を家に連れて帰ることを求め、総指揮官に詰め寄った。
恥ずかしいって気持ちは死ぬことより強かった
女であることに引け目を感じていた通信兵は、爆撃が始まったときでも生理中であることが恥ずかしく、爆撃をかいくぐって河の中に飛び込んだ。
極限の状態によって絞り出された言葉の数々は、決して武勇伝でもなければ、美談でもない。平時には当たり前の言動を、命を懸けて行ったものばかりだ。そして言葉が発せられるまでの一つひとつの情景は、言葉以上に雄弁だ。
歴史は書き残されなければ、何も始まらない。そして多くの人に知られることがなければ、歴史として語り継がれもしない。そういった意味で、原作にとっても、コミック界にとっても、そして歴史そのものにとっても、非常に意義深い一冊なのである。
※週刊東洋経済 2020年3月7日号