西洋近代における奴隷制の全体像を把握できる一冊だ。奴隷貿易の誕生から奴隷制廃止運動まで網羅しているが、本書の白眉は奴隷船にまつわる詳細なデータを提示することで、近代社会の実態を浮き彫りにしたところだろう。
奴隷船はその名のとおり、奴隷を運ぶ船であり、映画や小説で過酷な環境が描かれているように「移動する監獄」であった。
毎日16時間以上、鎖につながれ身動きできずに板の上に寝かされ、2カ月以上も大西洋上を航海する。健康を損なうと「商品」価値が落ちるので、強制的に1日2回食事を与えられ、毎日1時間は甲板上で踊らされた。
奴隷船は大きければ大きいほど輸送効率が高まりそうだが、平均は100トン台半ばだった。600トン超の船が使われていたこともあったが、時代が経つにつれ大型船は減り、18世紀後半には400トン以上は皆無になる。できるだけ多くの奴隷を短期間に集め、船上での奴隷の死亡率を下げるために航海日数を減らそうとしたことで、100~200トンに収束したという。
約400年の間に少なく見積もっても1000万人規模の奴隷が輸送されたが、それは西洋近代を構成するのに奴隷制が不可欠であったことの裏返しでもある。
砂糖、ココア、コーヒー、タバコなどは、生産が拡大すれば奴隷制の拡大に拍車をかけるという矛盾をはらみながら発展してきた。産業革命に奴隷制が大きな役割を果たした一面を本書はあぶり出す。
奴隷貿易は巨額の富を生んだが、奴隷船の航海費用は徹底的にカットされた。象徴的なのが水夫の扱いだ。
水夫は主に奴隷の監視を担うため、出港時には必要だったが、奴隷を荷揚げして母港に戻る段階になると、コストにしかならない。食事を制限されたり、理由もなくむちで打たれたりと過酷な扱いを受け、命を落とした。
航海中の奴隷の死亡率は1割程度だったが、水夫の死亡率は奴隷の死亡率よりもはるかに高かったというから驚く。
無事に帰還できた水夫が半数以下ということも珍しくはなく、乗船自体が命がけだ。病気に罹患(りかん)して命を落とす者もいたが、大半は「消された」可能性があるというから穏やかでない。
当然、水夫になりたがる者はいない。借金で首が回らない者や、犯罪を繰り返し職につけない者が大半で、自ら進んで水夫になったのは、仕事内容を知らずに契約書にサインしてしまった無知な若者しかいなかったのだという。現代の小説や映画で、巨額債務を抱える者が「マグロ漁船に乗せられる」状況さながらである。
そして、これはあながち笑い話ではなく、現代にも「奴隷船」が存在することを著者は示唆する。世界では多くの子供や女性がだまされたり、脅されたり、暴力を振るわれたりして不自由な労働に従事している。その数は数千万人とも数億人ともいわれる。
奴隷制は過去の西洋の暗部でもなければ、過去完了で語られる物語でもない。経済のグローバル化が拡大する今、自分が無自覚に誰かを「奴隷船」に乗せている世界に生きている、ということに気づかされる。
※『週刊東洋経済』2019年10月19日号