『実像 広島の「ばっちゃん」中本忠子の真実』
”広島のマザー・テレサ”の知られざる半生
「ばっちゃん」をご存知だろうか。
中本忠子さん。84歳。広島市の基町アパートを拠点に、40年近くにわたって非行少年たちに無償で手料理を提供してきた人物だ。この活動と並行して、76歳の定年まで30年にわたり保護司も務めた。把握されているだけでも、これまで数百人を立ち直らせてきたという。こうした活動が評価され、国や各種団体からの表彰多数、その半生はNHKのドキュメンタリーにもなり、「ばっちゃん」の愛称は全国区となった。彼女を「広島のマザー・テレサ」と呼ぶ人もいるほどだ。
行き場のない人たちに長年にわたり居場所を提供し続ける。おいそれと真似できることではない。しかも彼女は人知れずそれを続けてきた。全国的に有名になったのはここ数年のことだ。いまでこそNPO法人化され、多くの人の手助けや補助金のサポートがあるものの、独力で活動してきた年月のほうが圧倒的に長い。繰り返し強調するが、彼女はその間、世間一般では無名だった。
立派な人物である。だが同時に、疑問も浮かぶ。
「なぜそこまで人のために尽くせるのか」という素朴な疑問だ。
著者は2016年に週刊誌の取材で初めて中本さんの自宅アパートを訪ねた。
なぜ、このような常人ではありえない活動を続けてこられたのか、正面きって質問してみても、本人からは明確な答えが返ってこない。あれこれ尋ねてみても、「私、自分でいいところというと一切過去を振り返らんの。前進のみ」とはぐらかされてしまう。
「ばっちゃん」の実像に興味を持った著者は、広島に通いつめ、中本さんの家族や基町の家に集う関係者に取材を重ねていく。次第にこれまで知られることのなかった彼女の半生が明らかになっていく。
巷間伝えられる中本忠子さんのプロフィールは、次のようなものだ。
広島は江田島の出身。21歳で結婚し、3人の男の子を授かるも、末の子が生まれた直後に夫を心筋梗塞で亡くす。その後3人の子を女手ひとつで育て上げる。三男の中学校のPTA役員をしたのをきっかけに保護司になり、非行少年と向き合う中で、ネグレクト状態にある子どもたちを見かねて無償で食事をふるまうようになった……。
一口に非行少年といっても、中本さんの家に集う子どもたちは「思春期にちょっとグレました」というレベルを超えている。小学生で親に覚せい剤を打たれたり、八百屋で盗んだモヤシを幼い兄弟で分けあって食べたりといった、凄まじい環境を生き抜いてきた子どもたちだ。「おかえり」と声をかけられたら「ただいま」と返すことさえ知らず、「おかえり」と鸚鵡返しする子どももいる。彼らがどれだけ孤独な人生を送ってきたのか想像もつかない。
そうした子どもたちが中本さんの手料理を食べるうちに立ち直っていく。
甘い卵焼きやバターがたっぷり入ったカレー、ふわふわのフレンチトーストを食べるうちに、こわばった心がほどけていく。
まさに魔法をみる思いだが、なぜそこまで子どものために尽くせるのか、その動機は謎に包まれたままだ。なにせ追い詰められた子どもたちがいつ助けを求めてきてもいいように、夜中でも携帯の電源を切らないのはもちろん、玄関に鍵もかけないというのだから。もはやこれは「善意」のひとことで説明できるようなレベルではない。
中本さん周辺への取材を重ねていくうちに、著者はこれまで一切表に出ることのなかった彼女の歩みを知ることになる。秘められた半生は悲しく、また苦難に満ちたものだった。その重みに比べれば、「広島のマザー・テレサ」などという呼称は、いかにもメディアが飛びつきそうなキャッチフレーズに思えてくる。あたかも聖人であるかのように祭り上げられた「ばっちゃん」のイメージも、人間の情と業とが複雑にからみあった「実像」からはかけ離れたものだ。
だが、著者が辿り着いた「ばっちゃん」の実像をここで明らかにするのはやめておこう。彼女が背負ってきたものを簡単に要約してしまうのは礼に失する。それに著者の誠意ある取材にも敬意を払いたい。ぜひ本書を読んでほしい。
それでも少しでも多くの人に本書を手にとってもらうために、ちょっとだけ触れておくとすれば、「ばっちゃん」になるまでの中本さんの半生が、決して特異なものではなかった、ということだけは言っておきたい。戦争を経験し、戦後の貧しい時代に幼子を抱えて生き抜かなければならなかった女性は、彼女だけではなかっただろう。そしてこの現代にも、シングルマザーとして苦しい思いをしている人はたくさんいる。母子家庭の過半数は貧困層とされる。「ばっちゃん」の歩んできた道は、あなたの物語と重なっているかもしれない。
だが一方で、そこから圧倒的な善行を施す「ばっちゃん」という人物が誕生したこともまた事実である。中本さんの核にある思いはどんなものだろう。本書の中に出てくるこんな言葉が手がかりとなる。
うちは子どもが三人おるんだけど、子どもが私から離れた時には、近所の子に何かしてやれば、この子たちは遠いところで誰かの慈悲でやっていけるじゃろう。よその子に与えることによって、うちの子にも誰かが与えてくれるじゃろう。……という感じでおったよ
中本さんの活動を快く思わない人たちからは、面倒をみている子どもたちを「クズみたいな奴ら」と嘲笑されてきたという。だが彼女の目に見えている景色は、こうした心ない言葉を投げつける連中とはまったく違うものだ。よその子に何かを与えることは、自分の子にも何かを与えてもらうことにつながる。つまり中本さんにとっては、どの子どもも「うちの子」なのである。
これは極めて重要な視点ではないだろうか。
いま映画『ジョーカー』が世界的ヒットを記録しているが、あの作品で描かれているのは、行き場のない人間が最終的にどこに行き着くかだった。『ジョーカー』がこれだけ支持されるのは、誰からも顧みられない人々が社会に溢れているからかもしれない。だが、『ジョーカー』が救いのない結論を提示するにとどまっているのに対し、「ばっちゃん」の活動はひとつの光を指し示している。薬物に溺れ、やくざになってしまった少年たちは、「ばっちゃん」のもとを訪れることで、もういちどやり直そうと足掻きはじめる。ここには、ささやかだが確かな希望がある。
中本さんは「蒔かぬ種は生えぬ」とよく口にするという。
著者はそんな「ばっちゃん」を赤いカンナの花になぞらえる。
原爆が落とされた直後の広島は「七十五年は草木も生えぬ」と噂されるほどの焦土と化したが、被爆から一ヶ月後、爆心地から一キロも離れていない基町で、カンナが花開いたという(本書には当時の写真が掲載されている)。廃墟の中に咲くカンナは、絶望に圧し潰されそうな人々に希望を与えたに違いない。
社会の分断はますます拡がるばかりだ。階層ごとのレイヤーはより細かく不透明になり、人々は自分が立っているところからだけでもなんとか振り落とされまいと、必死にしがみついて生きている。誰か足元にすがりついてくる者がいても、平気で足蹴にするような光景が当たり前になってしまった。
そんな殺伐とした光景に社会が覆われる中、「ばっちゃん」は黙々と種を蒔き続けている。そしていま、その種はあちこちで花開き始めた。
本書をぜひ手に取って欲しい。きっとあなたにもその花が見えるはずだ。