円谷幸吉、ある年齢以上の人にとっては決して忘れることのない名前だ。東京オリンピックのマラソン、二位で国立競技場に戻ってくるが、イギリスのヒートリーに抜かれ惜しくも三位に。1968年のメキシコオリンピックを目指すが、その年の1月、両刃のカミソリで頸動脈を切って自殺する。
父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。
干し柿、餅も美味しゆうございました。
家族にあて、こう書き始められた日本でいちばん有名な遺言を遺した。その遺言を激賞した川端康成と三島由紀夫の文章もこの本に載っている。なるほど、円谷の遺言と死をこういう文脈で誉めていたのか。二人ともが後に自殺しているだけに、その内容の奥深さもひとしおだ。
何度も目にしたことのある遺言だが、この本で自殺に至る経緯を詳しく知ってから読むと、これまで以上に涙が溢れた。
東京オリンピックで大人気となってしまった後におきたさまざまな出来事。自衛隊体育学校に新しく着任した校長の横暴。そのことと関係したと思われる畠野コーチの更迭。そして婚約者“よしこ”による一方的な破談。さらに、椎間板ヘルニアやアキレス腱断裂などの故障。何よりも、メキシコオリンピックでさらに上を目指すと語った「国民との約束」という呪縛。
さまざまなことがすでに理由としてあげられている。おそらく、そういったことが複合的にあわさった突発的な自殺だったことは間違いない。もちろん、この本での結論もおおよそういったところである。ならば読むことはないだろうと思われるかもしれないが、それは違う。
著者の松下茂典が、幸吉の長兄の息子、甥にあたる幸雄の家を訪ねた。まったく偶然、その少し前、実家の天井裏から幸吉の手紙が大量に見つかっていた。円谷はものすごく筆まめだったのだ。これをきっかけに、松下は、コーチであった畠野、大学時代の友人たちの手紙も手に入れ、それを一次資料にこの本を書いた。
手紙の内容と写真、その文面や文字から幸吉の心の動きが読まれていく。幸吉の写真も雄弁に物語る。東京オリンピックで畠野と抱き合った欣喜雀躍の表情と、死の直前にジョギングする表情のあまりの違いに愕然とせざるをえない。
メキシコオリンピックの御成功を祈り上げます
自衛隊体育学校の幹部に向けた遺言はこう結ばれていた。東京オリンピックでは円谷の後塵を拝した君原健二は、メキシコオリンピックでは亡くなった円谷と共に走り、銀メダルに輝く。ライバルであったが親友でもあった君原は、いまも毎秋「円谷幸吉メモリアルマラソン」の前に、墓前でビールを分け合うという。
昨秋は、円谷と君原を描いた戯曲『光より前に ~夜明けの走者たち~』を見にいった。素晴らしい内容とパフォーマンスだった。さほどに、円谷のことには興味がある。そんな私だが、知らないこともたくさんあった。
『謎の女』と題された最後の章は、円谷が最後の数日を共に過ごした女についてである。全く知らなかった。その女といっしょにいたとき、円谷はいったい何を考えていたのだろう。そして、本のラストは“よしこ”へのインタビューだ。あぁ、そうだったのか。円谷幸吉というのはどういう人だったのか、理解を少し深めることができたような気がした。
円谷とデッドヒートを繰り広げたヒートリーは、円谷の遺族と親交を結ぶようになり、2020年の東京オリンピックを楽しみにしていたという。しかし、残念ながらこの夏、それを待たずに亡くなった。うつくしい日本人として今なお記憶に残る円谷幸吉。自殺していなければまだ79歳、二度目の東京オリンピックを前に引っ張りだこになっていたはずだ。もしそうであったら、今の日本人、そして来年の東京オリンピックについてどんな手紙を書いていたことだろう。
沢木耕太郎の傑作ノンフィクション。6編からなる短編集で、うちひとつ『長距離ランナーの遺書』は円谷幸吉について。他に、カシアス内藤や輪島功一の話も。
ヒートリーと円谷の前を快走し、東京オリンピックでマラソン連覇を果たした「裸足の哲人」アベベの伝記。