山口連続殺人事件は、2013年に山口県周南市の小さな集落で起きた凄惨な事件である。住民わずか8世帯12人、半数以上が65歳以上という限界集落で、ある日突然5人の連続殺人と放火が起きた。
事件からほどなく犯人として名が挙がり、現場付近の林道で捕まった保見光成もまた、集落の住民の1人であった。
後にこの事件が大きな話題になっていった背景には、この村をめぐりさまざまな噂話がネットやマスコミで飛び交ったことがある。犯人の家に貼られていた「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」という言葉が犯行予告だったのではないかというもの。犯人は村の人たちから村八分にあっていたのではないかというもの。
根も葉もない噂を立てられ、それを真に受けた無関係な人たちから一方的に攻撃される。どんどん騒ぎが大きくなっていき、さらに深刻な事態を引き起こす。本書で描かれているのは、今では当たり前のように頻発する、ネット炎上の原風景とでもいうべきものだ。
著者の取材も、ある噂話の真相を確かめようと試みたことから始まる。それは、この集落には“夜這い”の風習があり、その遺恨をめぐり殺人事件が起きたのではないかというものであった。
本書は、裁判傍聴マニアでもあった著者が2年以上の月日をかけて何度も現地に赴き、事件の全貌を描き出そうと試みた一冊である。
村人たちとの間に関係ができてくるにつれ、著者のもとにはさまざまな情報が集まり出す。保見の父親が泥棒であったという情報。かつて保見が村人から刺されたという傷害事件の話。コープの寄り合いが、集落の噂が集まる諜報機関のような役割を果たしていたという実態。
次々に登場する、信じがたく不吉な話。加えて描き出される、集落の閉鎖的な空間と強い同調圧力。ネット炎上のようなスケール感こそないものの、狭い日常空間の中で執拗なボディーブローを受け続けたことが犯罪の原因の一端となったのは想像に難くない。これらの記述を読めば、都会の人間関係に疲れたらのんびりと田舎暮らしをしよう、といった幻想など吹き飛んでしまうことだろう。
そしてしまいには、村の生き字引のような存在の老人が「事件が起きたのには、理由がある。すべての問題がそこから始まっている」と真相らしきものをほのめかしてくる。
まるでミステリー小説のような状況だが、本書の中には謎解きの後に感じられるような大きなカタルシスはない。提示されているのは、人々の娯楽としての噂話が1人の男性による殺人事件を生み出し、それを取り巻く数々の噂が事件をより一層、複雑怪奇なものへ押し上げたという全体像である。
著者が一冊のノンフィクションにまとめあげる中で行った行動をネット文脈に置き換えるならば、噂話の徹底的なファクトチェックということになるのだろう。しかし真実と嘘は、決して対極に位置するものではない。真実は嘘の一部であり、嘘もまた真実の一部なのだ。
これらがない交ぜになった噂というものが、社会全体を覆い尽くしている様子がよく見えてくる。現実は、複雑なのだ。
※週刊東洋経済 2019年10月12日号