重慶大厦=チョンキンマンションをご存じだろうか?知る人ぞ知る香港の九龍・尖沙咀地区にある個人住宅がメインの複合ビルで、香港の魔窟と呼ばれることもある。ウィキペディアによると、そこには、南アジア・中東・アフリカなど、さまざまな国の出身者によるコミュニティーがあるらしい。そして、香港在住のタンザニア人たちも、夜な夜な何をするともなく集まってくる。
チョンキンマンションのボス、といってもオーナーなどではない。この本は、自らがチョンキンマンションのボスと名乗るタンザニア人・カラマをめぐるノンフィクション、文化人類学者・小川さやかによる密着取材ドキュメントである。
カラマは、月に2万4千米ドルも稼ぐことのある凄腕ビジネスマンだ。しかし、稼げない月もある。そんな時でも、おだてられると見知らぬ若者にまで気前よく奢ってしまい、生活費を借りるはめになる。
おしゃれ好きで、次々と新しい服を買うが、着た後は洗濯をせずに誰かにあげるか、ビニール袋に突っ込んだまま。チェーンスモーカーでいつもタバコを誰かにねだっている。時間にだらしなくて全く守らないし、時にはすっぽかすこともある。そんなアラフィフのおじさん中古車ディーラーだが、みなに愛されている。写真も見ようによっては愛くるしい。
カラマのスマホのアドレス帳には、母国の上場企業の社長、政府高官から、香港にいるドラッグディーラーや売春婦、元囚人までさまざまな友人の連絡先が登録されている。どんだけ幅広い付き合いなんですか…。そして、タンザニア香港組合の創設者にして、現在は副組合長。
困ったことがあったら、チョンキンマンションに行ってカラマを探せ
タンザニアからやってきた交易人は、まずこう教えられるほどの存在である。なんとも魅力的な人物ではないか。割愛するが、この本で紹介されているその人生行路はかなりのものだ。
そのチョンキンマンションのボスの周辺で、タンザニア人たちは何を考え、どのように行動し、生きているのだろう。キーワードは以下の二つ。
「ついで」 そして
「信頼しないけれども、信頼する」
なんやねんそれは、と言われそうだが、つきつめるとこの二つになるのだからしかたがない。
まずは「ついで」。カラマも周りの人も、遊びながら仕事をしているように見える。これは、彼らの社会的なコミュニケーションとビジネスが渾然一体になっていて、彼らの仕事の基準が「ついで」にあるからだ。
小さいがわかりやすい例でいくと、タンザニアと香港を行き来する人のスーツケースに空きがあれば、自分取り扱う商品をついでに仕入れてきてもらう、といったようなことだ。このような「ついで」を用いると、結果的に、負い目を感じずに気軽に助け合うことができる。このような仕組みで、カラマの周囲の経済は成り立っている。
しかし、次に書くように、基本的には誰も信頼できない、ということを忘れてはならない。時にはだまし取られることもあるし、違法な運び屋に仕立て上げられてしまう危険性もある。ちょっと怖すぎるけれども、まぁ、そこはある程度仕方ないというだろう。
大切なのは仲間の数じゃない(タイプのちがう)いろんな仲間のいることだ
詐欺にあった時に最も役立つ情報を与えてくれるのは、警察などではなく詐欺師である、など、カラマの哲学はあくまでも明快だ。
驚くような個々のエピソードは本を読んでもらうしかないが、成功するには、いかに「ついで」にうまく便乗するかが大事だ。なにしろ、そんな「ついで」の連鎖によって、政府高官から元囚人にまでいたるカラマの人間関係はできあがってきたのである。
もうひとつのキーワードは、「信頼しないけれども、信頼する」ということ。誰かを「信頼できる相手」と「信頼できない相手」に分けるのは、我々の世の中では当たり前のような気がする。しかし、カラマの周囲は違う。誰も信頼できない、というのが鉄則だ。しかし、同時に、誰もが状況によっては信頼できる、ということも同じだけ正しい。
誰も信頼しないのだから、基本的に彼らはばらばらである。だが、場合によっては信頼するのだから、常に繋がっているともいえる。たとえば、香港で客死したタンザニア人がいた場合、親しくなかった人までもがお金を出し、遺体を本国に送還する。このように、基本的にはきわめて親切な互助的コミュニティーが築かれている。
すこしイメージしにくい。というよりも、そういう考えに基づいて行動するのはいささか難しそうな気がする。しかし、香港で仕事をするタンザニア人は、一攫千金を夢見て貧しい状態でやってきた不安定な人々だ、ということを忘れてはならない。褒められたことではないが、自分の生活のため、やむを得ず裏切ることもある。
自らがそうだったのだ。他人を裏切らなければ生きていけないような状況に陥る可能性があるということを、身をもって知っている。本人の努力ではいかんともしがたい時にとんでもないことをしても許してやろう、裏切った奴であっても状況がかわれば信じてやろう。いわば寛恕の精神である。
そのような結びつきだから、信用格付けのための無駄な競争は不要である。逆にいうと、少々いい加減にしていても大丈夫だ。それに、もっと大事なことは、こういうシステムだと、誰にだっていつかチャンスが回ってくるということ。ある種のセイフティーネットである。なるほど、何が起こるかわからない香港の魔窟で生き抜くために、「信頼しない」と「信頼する」を共存させるというのは、素晴らしい考えではないか。
ただし、カラマの周辺はきれい事ばかりではない。他人を利用しようとする輩や騙そうとするような輩はあとをたたない。在留資格を得るために書類だけの結婚をする人がたくさんいるし、売春婦の稼ぎをあてに暮らす人もいる。そんな中、大成功する人がいる一方で、帰国費用さえ捻出できない人もいる。
しかし、ふたつのキーワードから導かれる原則はこれに尽きる。
私があなたを助ければ、だれかが私を助けてくれる
助けた相手が助けてくれる、といった小さく閉じた関係性の話ではない。ルーズなコミュニティーだからこそ成立する原則だ。時には騙されて大損することもあるだろう。しかし、トータルとしてこの原則が成立していさえすれば、安心して生きていける。それも周囲に親切を振りまきながら。
これまでに論じられてきた「贈与」や「分配」などについての一般論とは異なっている。このあたりについては、さすが専門家、文化人類学的な考察が十分になされていて、その方面での興味は尽きない。といっても、決して難しくはないのでご安心を。
香港に流れてきたタンザニア人による特殊なシチュエーションでの経済といってしまえばそれまでのことかもしれない。しかし、「ついで」と「信頼しないけれども、信頼する」という二つのキーワードで成り立った世界は、けっこう生きやすそうではないか。なによりも、そんな経済のど真ん中で生き抜いているカラマはとっても幸せそうだし。いやぁ、チョンキンマンションのボス、絶対にあなどれませんわ。
※写真は春秋社編集部提供
貨幣経済の世の中でいかに生きていくべきか。自分の中に二つの焦点を持つことが大事と説く。
香港といえば、この本をあげずにはおられません。