「なんとかしてこの体験を書かねば、吐き出さなければ、今後自分は文章を書いていくことができなくなってしまう。」
本書『ストーカーとの七〇〇日戦争』あとがきで、著者の内澤旬子氏が綴っている言葉。
本書はすでに発売直後に東えりかと栗下直也がHONZで紹介している。それでも、著者の命を削るような文章に駆り立てられるものがあり、私もここで書かずにはいられなくなった。
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お気に入りの「島の暮らし」のすべてが引き剥がされていった
著者は2014年に小豆島に移住し、インターネットを通じて知りあったAと8ヶ月ほど交際。だが、様々な違和感から別れを宣告したところ、電話とメッセージが止まらなくなった。脅迫じみた内容も届くようになり、警察署に相談に行くことに。そこから警察官、刑事、検事、弁護士などを介しながら、逮捕、示談、裁判…とAとの“戦争”の日々が繰り広げられる。
ストーカーによる傷害事件は、時々ニュースで目にするが、そこで伝えられる内容は、“外野”から見える事柄に過ぎない。本書を読んで、“被害者”のありのままの心情に触れると、その恐怖や困難の深刻さに気づかされる。
Aに自宅の場所を知られているうえ、狭い島のコミュニティでは、近隣に引っ越しても新居がAまで伝わってしまう可能性がある。移住前に、東京から仕事の合間を縫って通い、ようやく見つけ出した家なのに、住み続けることは叶わない。愛犬ならぬ愛ヤギのカヨも、せっかく育んだ近所との交友関係も手放し、身を潜めて暮らさなければならない。狩猟免許もせっかくとったのに、何かあった時のことを考えて、銃は警察へ預けるしかない…。
著者にとって大事な「島の暮らし」のすべてが引き剥がされていくことに、著者は「空っぽだ。生きている価値もない」と絶望しそうになる。だが、今までの暮らしを変えなければならないことは、周囲から被害者として「当然取るべき対策」と考えられ、その心情に寄り添ってくれる人はいない。
それだけではない。示談や裁判がまとまるまでは、その状況は基本的に口外できない。著者は普段、自身の移住体験や島での暮らしを執筆しているが、読者に隠し事をしながら書かなければならなくなる。SNSでの投稿も、Aが見ていて何か反応をしてくるのではないかと、常に怯えながらやらなければならない。公のイベント登壇も、事前に場所が告知されるものは、Aが来てしまうのではないかと恐怖で、受けることができない。引っ越しや弁護士との面談などで膨大な時間が削られ、精神状態も安定せず、原稿の締切が間に合わなくて仕事を落としてしまうことも…。
それでも、その本当の理由を周りに話すことはできず、周囲との信頼関係が崩れていくのをただただ受け止めるしかない。そして、そうした”明確に金額には落とし込めない被害”は、示談や裁判で請求するのも容易ではない。
「『絶対安全』は、もう私の人生にはない」
そして何より大きな被害は、これから先、ずっと「元の暮らし」は戻らないということだ。メッセンジャーや2ちゃんねるで書かれた罵詈雑言による心の傷は消えない。それをどこで誰が読んでいて、著者に対してどんな感情を抱いているか分からないため、人に会うことが怖くなる。特に男性に対する恐怖心や警戒心はどこまでもぬぐえない。
また、法によって、Aの行為を取り締まることはできても、Aの執着や憎しみを消すことはできない。いつ報復しにくるか心の隅でずっと怯え続けるのだ。報復を恐れるからこそ、起訴できない被害者も多いのではないか…と著者は語る。だからこそ本書後半では、ストーキング行為が病気であり、その治療を制度の中に組み込むことを提唱している。これに関する詳細は、本書に譲りたいと思う。
「被害者」が守られるわけではない現実
もうひとつ本書で注視すべきなのは、これは決して「ストーカーとの戦争」だけではないということだ。著者が何度も言及しているのが、「国や制度がいざとなったら自分を守ってくれるわけではない」という点だ。
縦割り行政ゆえに、複数の関係者に対して何度も同じ内容を説明しなければならず、その都度、負の記憶を掘り起こし、自分の傷をえぐらなければならない。性的な内容も含むAとの私的なメッセージのやりとりも、捜査のためであればすべて晒さねばならず、時には刑事からストーキングするような人と付き合ったことに対し、批判的な言葉を浴びせられることも…。示談の内容を決めるにあたっては、加害者側のプライバシーや経済状況も尊重され、著者が本当に望む条件はどんどん削られていくことに…。
なぜ私が、守ってもらえる人たちからも、何重にも傷つけられなければならなかったのだろう
懲役刑にしろ罰金刑にしろ、加害者は国から痛い目に遭わされるだろうけど、被害者の被害に対してなにか埋め合わせがあるかというと、刑事的には特に何もないのだ。 —(略)— だれもAに対して、私への償いを促したりは、しない。
怒りのような諦念のような感情が漏れ出す場面が幾度もある。だが一方で、
彼ら(弁護士)は法律の専門家であり、膨大な法律知識に基づいて、トラブルを整理するプロだ。 —(略)— 彼らの発言の基幹は、法律。法律に拘泥すればするほど、対応によっていかようにも動いてゆく人間の心情から、かけ離れていくように思える。
と、客観的に現実を受け止めようとする言葉も…。著者だけでなく、実際、現場にいる弁護士たちのなかには、被害者救済が十分に整備されていないことを問題視する人たちもいる。
たとえ自分が被害を受けた側であっても、法律や公的機関が自分の味方になってくれるわけではないこと。むしろ時には自分の前に立ちはだかることさえあること。それはきっと、ストーカー事件に限らない現実なのではないだろうかと思う。
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著者が自身の心の痛みにも、恥ずかしさにも、Aからの報復の恐怖心にも、飲み込まれることなく、決死の覚悟でつむぎだしたルポルタージュ。あなた自身や、あなたの大事な誰かにとって、いつか役にたつ日がくるかもしれない。著者が、まさか自分がストーカーの被害者になるとは想像もしていなかったように…。その先にこんなにも長く辛い道のりが待っているとは思ってもいなかったように…。「七〇〇日」の何百分の1の時間で、ぜひ追体験してみてほしい。