今年もっとも感情を揺さぶられた一冊だ。
なにしろこの本を読んでいる間、いい歳して中学生かよ!というくらい落ち着きがなかった。世の中の不条理に憤って汚い言葉を口にしたかと思えば、声をあげてギャハハと笑い、気がつけば目を真っ赤にして洟をかんでいた。
ノンフィクション好きで著者の名前を知らない人はいないだろう。ブレイディみかこさんは地元福岡の進学校を卒業後、音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始し、2017年に『子どもたちの階級闘争−ブロークン・ブリテンの無料託児所から』で新潮ドキュメント賞を受賞した。ここ数年、注目を集める書き手である。
本書は彼女がこれまで書いたものの中で、もっともプライベートな色合いの濃い一冊といっていいだろう。彼女は英国南部のブライトンという街で、アイルランド出身で大型ダンプの運転手をしている配偶者とともに20年以上前から暮らしている。ふたりの間には中学生の息子がいる。彼が本書の主人公だ。
息子くんは市の学校ランキングで常にトップを走っているようなカトリックの公立小学校に通い、生徒会長まで務めたが、中学校は自宅から近い学校を選んだ。そこは上品なミドルクラスの優等生が集まる学校ではなかった。いじめもレイシズムも喧嘩もある、人種や格差もごちゃ混ぜの、英国社会のリアルを反映したような「元底辺中学校」だった。本書はそんな学校に通い始めた息子くんの1年半の記録である。これがもう、読み始めたら止まらない。とにかく面白いのだ。読者は例外なく主人公のファンになってしまうだろう。
英国では、公立でも保護者が子どもを通わせる小中学校を選ぶことができる。当然のことながら人気校には応募が殺到するのだが、定員を超えた場合は、校門から児童の自宅までの距離を測定し、近い順番に受け入れるというルールになっている。このため、わざわざ学校の近所に引っ越す人が出てくる。するとそうした地区ほど住宅価格は高騰し、そうでない地域との格差が進んでしまう。
著者が暮らすのは「荒れている地域」と呼ばれる元公営住宅地である。「元」がつくのは、サッチャー政権時代に公営住宅のほとんどが払い下げになったためで、この結果、不動産屋から購入できた人もいれば、相変わらず地方自治体に家賃を払いながら住んでいる人もいるという「まだら現象」が進んだ。中には民間に払い下げようにも評判が悪すぎて売れなかったと噂される公営団地もあり、まだら地区に住む住人たちからも「ヤバい」と言われていたりする。同じ「荒れた地域」でも複雑に入り組んだ構造になっているのだ。
息子くんの通う中学校にはこうした地区の子どもが集まっている。だから大人の想像を超えた出来事が次々に起きる。たとえば同級生がレイシスト発言を繰り返して問題になるのだが、発言の主は移民の子だったりする。移民といえば差別される側と考えがちだがそうではない。一口に移民といっても人種も出身国もさまざまだ。社会が多様化するとレイシズムにもさまざまなレイヤーが生まれてしまう。移民が移民を差別することだってあるし、中立のつもりでいても、誰かを気づかずに差別してしまうことだってある。
リアルな貧困の問題も見過ごせない。息子くんが休み時間に「どんな夏休みだった?」と聞いたら「ずっとお腹が空いていた」と答えた友人がいたという話には胸を衝かれた。2010年に政権を握った保守党による緊縮財政政策によって、毎日を青息吐息で暮らしていた人たちがつかまっていた細い糸が断ち切られてしまった。満足に食事もとれない子どもも多く、そんな生徒を見かねた先生がこっそりランチ代を渡すことも珍しくないという。本書に登場するある教員は、公営住宅地の中学校の先生たちは、週に10ポンドはそういうことにお金を使っていると話す。緊縮政策で教育への財政支出が毎年のようにカットされる中、現場は心ある人々の努力でなんとかもっているのだ。
思春期の子どもが向き合うには、あまりに過酷な現実かもしれない。でも本書の主人公は、そんな黒く立ち込めた暗雲を吹き飛ばすかのようなキャラクターなのだ。冷静に事を見極め、自分の頭で考えてから行動を起こす。レイシスト発言を繰り返す同級生には、辛抱強く注意し続けふるまいを改めさせるし、「ヤバい」団地に住む貧しい同級生には、プライドを傷つけないようさりげなく物資を渡し手助けしたりする。本当に頼もしい。
英国社会の置かれた状況もなかなかハードだが、それでもまだ辛うじて社会の紐帯が保たれているように思えるのは、いざ事故や災害が起こった時に、貧しい者どうし助け合うからだ。そうした地べたの団結力は、市民社会の強さを示していると思う。ましてや息子くんのように現実とまっすぐに向き合っている子どもたちがいるのだ。いたずらに悲観することもないのかもしれない。
本書を読みながら、なんども自分の中学生の頃を思い出した。
そこそこに荒れた田舎の中学だったが、不思議と授業の光景は思い出せない。
鮮明におぼえているのは、遊びに行った友人の家がとても狭かったことや、遠足の日に弁当を隠しながら食べている女の子がいたことだ。あの時生まれて初めてぼくは、社会の現実に触れたのかもしれない。中学生というのはきっとそういう年代なのだろう。
我が家にもちょうど今年中学生になった息子がいることもあって、保護者のような気分で本書を読んでしまった。著者はオスカー・ワイルドの言葉をもじって「老人はすべてを信じる。中年はすべてを疑う。若者はすべてを知っている。子どもはすべてにぶち当たる」と書いているが、ほんとうにそうだ。子どもたちはこれからさまざまな社会の理不尽にぶち当たっていく。
ある朝、早めに家を出たら、登校途中の息子が友人たちと前を歩いていた。
全員ブカブカの制服を着ているのには笑ったが、跳ねるように歩いていく彼らの背中を見ながら、ふいに「ああ、もう追いつけないのだな」と思った。
彼らは大人たちが死んだ後も生きていく。そしてぼくらが決して見ることのできない未来を見ることができるのだ。未来は間違いなく彼らのものだ。不甲斐ない父親世代が変えることのできなかった社会の因習や不合理は、彼らが軽々と変えてしまうに違いない。一抹の寂しさも感じるが、それ以上になんだか晴れやかな気持ちになった。子どもたちよ、全力で駆けて行け!大人たちのことなんて気にするな。君たちの未来は祝福されている!
本書は新潮社の『波』に連載されたものをまとめたものだ。嬉しいことにこの連載はいまも続いている。遠からずまた息子くんに会える日が来るだろう。次に会う時、彼はどんなふうに成長しているだろうか。親戚のおじさんのような気持ちでその日を心待ちにしている。
英国社会の現実は決して他人事ではない。仲野徹の書評はこちら