人工知能の発展・普及のすさまじい昨今だが、すっかりバズワード化してしまって「ここでいう人工知能って何を指しているわけ??」がわかりづらいケースも増えてきてしまっている。そんな中にあって本書は、人工知能とはいっても実際にはそれらは「知能」そのものではない点。また、現在の人工知能と呼ばれているものの多くが提供しているのが、知能の重要な構成要素のうちのひとつ、「予測」であることに焦点をあて、それらが個別具体的にビジネスにどのような影響を与えるのか、どのような思考とデータを必要としているのかを描写していく一冊になる。
著者はアジェイ・アグラワル、ジョシュア・ガンズ、アヴィ・ゴールドファーブの三人で、皆トロント大学ロットマン経営大学院の教授であり、創造的破壊ラボというスタートアップ支援のためのプログラムを行っている。『不確実性やそれが意思決定にとって持つ意味を理解する際には、経済学を利用するのが常套手段だ。予測の精度が上がれば不確実性は減少する。ならばAIはビジネス上の決断においてどんな意味を持つのか、本書では経済学を使って解説していきたい。』
予測の価格が安くなった世界
というわけでここからはもう少し詳細な内容紹介に入ろう。
まず重点を置いて繰り返し説明されるのは、最初に書いたように人工知能が提供しているものの多くは「知能」や「思考」ではなく「予測」であるということ。で、これまでこの「予測」能力というのはパソコンの計算能力のように広く普及していたわけではなかったが、新しいAI技術によってこれがお手軽なものになり、我々は予測が安くなった世界を生きている。
予測とはなにかといえば、天気を予測する、株価を予測する、あのヒトの行動を予測する、といったように既存のデータを元に未知の情報を埋め合わせていくプロセスのことである。AIはこれを様々な手法で行う(クラシフィケーション、クラスタリング、ディープラーニング、ベイズ推定などなど)が、結局のところどの手法も「予測」していることに違いはない。需要予測や在庫管理など、AI以前から統計を用いた予測は行われていたが、今は予測のコストが下がり、精度は上がり、これまでは予測しようがなかった分野にまで用いられるようになってきている。
おもしろいのが、「予測の精度がある閾値を超えると、ビジネス戦略が根底から変わることがありえる」という指摘である。たとえば、予測精度が上がることで戦略が変わると見られているサービスのひとつにアマゾンのレコメンド機能がある。現状、レコメンド機能の精度は高いとはいえない(実際に欲しいものを勧めてくる割合は、5%程だという)。しかし、その精度がたとえば90%を超えたらどうだろうか? その時、それはただのレコメンド機能ではなくなっている。
もし90%以上の精度で相手が欲しいものが予測できるのであれば、本人がそれを購入するというアクションを押す前に、予測された時点で先に送ってしまえばいい。90%の精度だと10回に1回は「こんなのいらないよ」というケースもあるだろうが、その場合は無料で返品してもらえばよく、自分で発送させるのは難しいだろうが、1週間に1回トラックを集荷に向かわせるフローを作り上げればいい。大きなコストがかかるだろうが、それ以上の利益があれば問題はない。
アマゾンにとっては顧客の囲い込みに繋がり、顧客にとっては買うという意思表示もなく欲しいものを手に入れられるようになる。「そんなのは妄想だろう」と思うかもしれないが、実際にアマゾンは2013年には「予測発送」の特許を取得している。まだその精度が実現に移行するほど高くないだけで、どこかのタイミングでペイすると判断すればそれは実現する可能性がある。
上記の例は超大企業であるアマゾンを例にとったが、予測マシンの精度向上がもたらすビジネス戦略の転換はあらゆる業界で起こると想定したほうがいいだろう。特に経営層は、今後はそうした予測精度の向上がもたらすビジネス戦略の根本的な転換に備える必要がある。
どのような形の分業が、最高のパフォーマンスの発揮に繋がるか
読んでいて興味深かったのが分業についての章。人工知能絡みの議論では「人間の仕事を人工知能が奪うのか?」的なざっくりとした問いかけが立てられることがあるが、実際にはまだまだ人工知能は完全な人間の知能の代替にはなりえない(しその道筋も示されてはいない)のだから、奪うか/奪わないかで考えてもしょうがない。今考えるべきは、「人間と予測マシンはどのような形で分業することで最高のパフォーマンスを発揮できるのか?」という新しい分業の形だろう。
予測マシンの長所として挙げられるのは、人間とは比較にならないほどの規模でスケールさせられること、何度同じ作業を繰り返させても精度が下がらないところにある。逆に、過去のデータをあまり収集できていない例外的なケースに対処するのは苦手で、こちらは人間の臨機応変な対応能力に軍配が上がる。そうすると必然的に、例外的な状況には人間が対処し、そうでないときは予測マシンが対処するという分業の形をとることが多くなると考えられる。
たとえば、スライドガラス上の組織片を分析し、転移性乳がんの発見を競うコンテストがあり、ディープラーニングアルゴリズムの予測の正しさは92.5%、人間の病理学者の予測の正しさは96.6%だった。それだけみるとディープラーニングもまだまだだな、という感じだが、この両者の予測を組み合わせると、人間のエラー率は3.4%から0.5%にまで減少した。これは、人間はガンが見つかったと判断した時の正答率は高く(例外的な事象)、逆にAIはガンが見つからないという見立ての正答率が高かった(一般的な事象)からで、AIの予測を適切なケースにおいては自分の参考材料とすることで、人間は予測の精度を上げることができるのだ。
本書ではこのあたりの知識の枠組を既知の知、既知の未知、未知の未知、未知の既知の4つに分類し、予測マシンの得意/不得意分野をあげ、どこを人間が担当すべきかを解説してみせる。
おわりに
このあと本書では、人間が「決断を下す」という時、具体的にそこではどのようなフローが行われているのかをより詳細に掘り下げ、そのどの部分を予測マシンが代替できるかを説明し、最終的には経営層はAIをビジネス戦略の転回に活かす時、どこに焦点を当てて考えればいいのかまで網羅していくことになる。経営層向けの記述が多い本だが、著者らの経歴(創造的破壊ラボ)から繰り出される豊富なAI関連スタートアップのビジネス×AIの具体例と合わせて、予測マシンについての好奇心を持つ人であれば、だれにとってもおもしろい一冊に仕上がっている。
人工知能まわりの話ではよくないがしろにされている印象のある、「データ収集の難しさと、どのようなタイプのデータを集めればいいのか(訓練用データと、予測を行うための入力データと、予測の精度を改善するためのフィードバックデータなど)」といったデータについても一章分割いてくれているのが好印象だった。