ちばてつや。そう、あの『あしたのジョー』などの傑作を描いた、漫画家だ。最近はどうされているのかと思いきや、「18年ぶりの最新作」とうたっての自伝が刊行されていた。文字が多めの漫画、という風で、往時が生き生きと蘇る。描かれているのは、少年時代の中国での出来事だ。今では想像することができない、たった70年前の、中国での体験。
漫画としては18年ぶりの最新作ということだろう、前作からだいぶ間が空いている。念のためプロフィールを紹介しておこう(ご本人のホームページより要約)。
1939年(昭和14年)1月11日、東京築地の聖路加病院で生まれる。同年11月に朝鮮半島を経て、1941年1月旧満州・奉天(現中国・遼寧省瀋陽)に渡る。1945年終戦。翌年中国より引揚げる。1950年、友人の作る漫画同人誌「漫画クラブ」に参加。1956年、単行本作品でプロデビュー。主な作品に「1・2・3と4・5・ロク」「ユキの太陽」「紫電改のタカ」「ハリスの旋風」「みそっかす」「あしたのジョー」「おれは鉄兵」「あした天気になあれ」「のたり松太郎」など。公益社団法人日本漫画家協会会長。東京都練馬区在住。
漫画家協会会長まで、と国民的漫画家の華やかな人生が垣間見える。一方で、網膜剥離を患って細かい作業はもうできない、という事情もあったのか、「老兵は去るのみ」と引退を考えていたことが冒頭で明かされる。とはいえ、しんみりとはしていられない。そんな老大家に入った、雑誌「ビッグコミック」からの依頼(結構しつこくて、そこが良い感じ)に応える形で、連載は始まる。それがまとまったのがこの日記なのである。
同年代の仲間との会話、といってもそこはさすが、誰もが名前を知っている漫画界のレジェンドたちとのハイレベルな会話なのだが、それを通して老境の日常をさりげなく読んでいるうちに、現代から過去へと、話は遡っていく。
さて……ワタシが子どもの頃は中国の瀋陽(しんよう)市、当時で言う満州の奉天
(ほうてん)市に住んでいました。父親が印刷会社で働いていて、3メートルもある高いレンガ塀に囲まれた中にある社宅が我が家でした。
高い塀の内側は、5歳の男の子が、ペットとして飼うひよこのピヨちゃんをのんびり散歩させることができる平和があるのだが、外側はというと、市場で声をかけて可愛がってくれていたおじさんが周りの目を気にし始め、行けば追い払われる。「日本鬼子(リーベンクイズ)」という言葉が周りでつぶやかれていく。そんな戦争の気配がひたひたと場を満たしていくのだった。
冬に零下20度に下がることもあり、塀の外にはだんだん遊びに行けなくなるてつや少年。5歳で1944年と考えると、ものごころがついた頃に終戦に向かっていたことになる。この年頃に外に出られず家の中で世界への想像を膨らませたことが、後に漫画家となる環境作りになった、というのだからたくましい。
「大陸育ち」と昔は呼んだそうだが、大陸で暮らした経験がある人は、考えの枠組みが大きくなり、多少のことでは動じないと聞いたことがある。現代の日本では、満州で暮らし終戦を迎えて命からがら逃げてきたという人は、年齢的に少なくなった。あまりにもスケールの違う経験と出来事で、その場に自分がいたら何ができるのか想像さえできないが、この世代の逞しさは、戦争体験というものなのだろうか。東日本大震災の時にも感じたが、大きな災害や社会の変動には否が応でも巻き込まれる。それをいかに自らの糧にするか、それが分かれ道なのだろう。
ピヨちゃんはいつのまにか食卓に上ってしまい、体が弱かったお父さんにも赤紙が来て、と戦局の悪化とともに、満州での暮らしは貧しく、そして厳しいものに変わっていく。その果ての終戦だ。同時に、高い壁を乗り越える人たちが現れて、負けた日本人の住居は襲撃されていく。
ほんとうの地獄はここから。とは満州から小学生の時に引き揚げた私の父親も言っていた。「隣の家の女の子は、荷物と子供の手を両手に握っていたお母さんが、荷物を持ち直す時にその子の手を離して見失ってしまい、そのまま奉天の駅で生き別れた」という話を聞いたことがある。その隣の女の子は「残留孤児」として生きたのかもしれない。同時に、その隣の女の子は、私の父であっても誰であってもよかったのかもしれない。
てつや少年の家族は、奇跡的に奉天に戻ってきたお父さんとともに、工場の仲間たちと300キロ離れた葫蘆島(ころとう)を目指す。と、ここまででも1巻の半分にページはやっといくかというところ。辛酸をなめ、紆余曲折を経て、一家は港にたどり着き、帰国するのだが、その道のりは果てしなく、全員がたどりつけるようなものではなかった。と、ここまでが1巻だ。
大御所漫画家同士のやりとりが途中に差し挟まっており、超越した会話が楽しい。やっぱりすごいのは、さいとう・たかお。「いよお、ちばちゃん!」に始まり「ワシかて網膜剥離やったで、しかしベッドの中から指示したり、休まんかった(ギロッ)」。「〆切に遅れたことは一度もないっ(ビシッ)」とタバコをふかしながら語る様子がかっこいい。
そのさいとう翁の『ゴルゴ13』連載45周年のパーティーで会ったのが最後になったというのが、年上の先輩、水木しげるだ。「人は働きすぎは、いかんです」と笑っていたのにと、その死の報に腰を抜かすちばさんの姿も描かれる。直接的には描かれていないものの、その死が「伝えておかねば」という思いにつながり、この日記の執筆への後押しになっているようにも読める。
タイトルの「ひねもすのたり」は、「1日中だらだら」という意味だそうな。まだ1巻が出たばかり。2巻はいつ出るのだろう。「残された時間」を意識しながら描かれている様子がうかがえるが、大きな何かに包まれて読む半生は、読むこちらも単純に元気になってしまう。長く描き続けていただきたいものだ。
本にも出てくる水木しげるさんが、戦争を描いた名著。
残留孤児のことをもっと知りたいなら、こちら。
戦時中の生活がよくわかる。