久しぶりに出会った、上品にして趣深いエッセイとして読んでいる最中だ。読み終えるのがもったいないのだ。
全35章。3章ほどをゆっくりと読むために、わざと場所と時間を変えている。早朝のカフェでクロックムッシュと、午後はおにぎりをほおばりながら公園のベンチ、夜はウイスキー片手にベッドの中という具合だ。
広重の「東海道五十三次」をモチーフにしながら、おもに江戸の諸制度や風俗、いまにつづく文化や文物などを書き綴っているのだが、たとえば「岡崎」の章では、「河況系数」という地理学の用語が登場し、日本の河川の特徴と橋梁構造についても詳しく検討する。あなどれないのだ。
もちろん広重の絵そのものについて仔細に吟味することもある。「御油・赤坂」の章が愉快だ。このふたつの宿は十六丁(1.7km)しか離れていなかったため、飯盛女のほかに留女というプロの女たちがいたらしい。御油と赤坂の2枚の浮世絵にはそれぞれ宿前と宿中が描かれており、それを細かく見ることで、当時の風俗だけでなく、絵師のうしろ姿も想像してみるのだ。
文章の調子もまた素晴らしい。最終章の「京」の冒頭はこうだ。
ふりだしは江戸・日本橋。あがりは京の三条大橋。橋はまた『はし』でもあって、五三の宿駅を、はしとはしがリボンの先端のようにキリリと結んでいる
ドイツ文学者にしてエッセイの名手。知的にしてビジュアルで、広重の五十三次を語るに相応しい。
春秋社100周年記念出版の書だという。春秋社の創業者は、明治の名著『米欧回覧実記』を書いた久米邦武の書生だった神田豊穂と、直木賞の直木三十五だ。仏教書関連の出版社として知られている。
ところがおもしろいことに、本書は江戸時代の寺請制度と僧侶について批判的で、寺の衰退は廃仏毀釈という運動だけが理由ではないと見る。
※週刊新潮より転載