秋晴れの澄んだ青空に映えて、赤や黄色に色づいた木々の葉がまぶしい。小高い丘を登りきり、小さな盆地を見下ろす高台に建つ飾り気のないコンクリートの建物――それが、無言館だった。
先月、長野県上田市を訪れた私は、せっかく来たのだからと、ガイドブックに載っていたこの小さな美術館まで足をのばした。その受付で販売されていたのが、1992年に単行本として刊行され、今年になって文庫化された本書である。
表紙をかざる、浴衣姿の少女の絵。第2次大戦中に出征先の満州で戦病死した画学生・太田章氏が、妹をモデルに描いたものだ。この絵が展示されている無言館は、戦争で若くして亡くなった画学生たちの作品を全国の遺族から預かり、展示している。
そして本書には、著者であり無言館の館主でもある窪島誠一郎氏が、この私設美術館を建てる経緯や、それぞれの作品がもつ物語、遺族たちの複雑な心情にも触れながら、自身の歩んできた人生を見つめなおす道のりもつづられている。
もともと信濃デッサン館という夭折画家たちの作品を集めた美術館の館主であった窪島氏は、日本画家・野見山暁治氏の「戦没画学生たちの作品を集めた美術館をつくりたい」という夢を聞いたとき、感心こそすれ懐疑的であった。
野見山氏は出征した満州で病気にかかり復員したが、学友たちは大半が戦死した。一方の窪島氏は、戦時中はまだ幼子で、自分のように戦争体験をもたない人には、画学生たちの絵は遠い時代の古びた絵にしか見えないのではないかと憂慮したのである。
かれらは生きたかったにちがいない。生きて絵を描きたかったにちがいない。そうした思いが何十点も集まれば、きっと何か、ぼくたちの想像をこえた大きな声になってきこえてくるような気がする。(中略)我々生きのこった画家たちがどれほどの仕事をしたかといえば自信はない。ことによると、かれらの絵のほうが何倍も純粋だったかもしれないんだから。
この野見山氏の言葉から、作品を集めるために遺族を訪ねる旅がはじまった。
本書は、フィリピン・ルソン島で戦死した日高安典氏の弟・稔典氏を、鹿児島県種子島に訪ねるところから始まっている。安典氏は東京美術学校(現・東京藝大)で学び、印象的な横顔の裸婦像を遺しているが、この絵には署名がない。モデルの女性に「生きて帰ったら必ずこの続きを描くから」といいのこして出征して行った、未完の作品であった。
安典氏が遺したスケッチブックの余白には、こんな言葉が書かれていた。
小生は生きて帰らなければなりません
絵を描くために
しかし帰ってきたのは、名前が書かれた小さな紙が1枚入っただけの白木の箱。遺骨1本入っていない空の箱を抱いて、母親は肩をふるわせて泣いていたという。
こうした訪問をくり返し、遺族たちから大切な絵を預かるたびに、「自分は絵を奪っているのではないか」と略奪者のような憂鬱をおぼえながら、著者はしばしば、自身の亡き養父母を思い出していた。
貧しくとも慈しんで育ててくれたのに、出生に疑問を抱き、本当のことを教えてくれない養父母を恨むようになっていた。そして再会を果たした生父が著名な小説家だったことで、気持ちはますます養父母から遠ざかってしまった。
著者自身の養父母への思慕や後悔、そして亡き画学生たちに寄せる遺族たちの心情が織りあわされて、本書はより複雑に深く、読む者の心を揺さぶってくる。
だが、美術館の建設は順調に進んだわけではないし、必ずしもあたたかく応援してくれる人たちばかりではなかった。
「物好きな人」と奇異な目で見られ、なかには「売名行為」と受け取る人もいる。美談すぎるあまり、かえって警戒されてしまうのだ。その現実は、絵を預けてくれた老女性の息子からかかってきた、下記のような内容の、一本の電話に象徴される。
――何かトクにならなければ、そんな仕事はしないでしょう。母は善い年寄りなので、ついあなたのことを信用して(絵を)貸したんでしょう。国がやるべき仕事を個人がやろうとするところに、あなたの才覚をみる思いがします。戦後50年をすぎて遺族があきらめかけたところに救世主のようにあらわれて、世の中にはウマイ商売を考えつく人がいるものだ。……
さまざまな詐欺が横行する世の中で、「美しい話には裏があるに違いない」と疑ってしまうのは、仕方のないことなのかもしれない。純粋な人や美しい話に接すると、無意識のうちにそれができない自分に不安をおぼえ、相手を貶めることで安心をする。昨今はインターネットなどで匿名に隠れて人をたたくことがエスカレートしているようにも感じるが、もともと人間には、そういう一面があるのだろうか。
無言館自体は、強く反戦を打ち出した展示をしているわけでもないし、それぞれの絵に多くの解説が添えられているわけでもない。
それでも、薄暗い館内で絵と向き合ったとき、はからずも私はその作者と絵を通して対話をしていた。筆づかいの一つひとつに、その人がたしかに生きてこのカンバスに向かっていた息づかいを感じ、描き続けたいと願う心の叫びが聞こえる。はじめに紹介した野見山氏の言葉のとおり、「無言」という名を冠しながら、これほど能弁に絵が観る者に語りかけてくる美術館を、私はほかに知らない。
敷地内にあるオブジェの裏に刻まれた言葉を見て、ここに来てよかった、と、改めて思った。
画家とは愛するものしか描けない
相手と戦い 相手を憎んでいたら
画家は絵を描けない
一枚の絵を守ることは
「愛」と「平和」を守るということ
この本は、それぞれの絵に無言館で出会えるようになった道のりや、こめられた思いを教えてくれた。
そしてまた、上田の地を訪れたのも、本がきっかけであったことを追記しておきたい。
2年前にレビューを書いた『評伝ウィリアム・モリス』。以来モリスの生涯に関心をもった私は、上田市美術館で催されていたモリス展をどうしても観たくなったのだ。そして、モリスの本が導いてくれた出会いから、無言館を知り、本書を知った。
本が実体験と結びついたとき、書かれていることを自分の中のより深いところで受け止めることができる。そう感じた上田への旅だった。
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