タレントの仕事はといえば、その日その日で「現場」へ向かい、その日限りの仕事をこなすのが日常です。わっと集合して、どっと収録して、さっと帰る。日々多くの人に出会いますが、プライベートでも付き合うような間柄の人は(まあ人にもよるでしょうが)あまり多くはありません。というか私はそうです。テンション高く、ひとときの「祭り」を演じ、終われば次へ行くのです。
若林さんはたびたびバラエティ番組でお目にかかりますが、心地よく「ツッコんで」くれるのでとてもありがたい存在です。気付いたら出演者の中でも最年長、なんてときは、みんな遠慮するのかあまり触れてもらえないこともあります。そんなとき、スタジオに若林さんがいるとちょっとホッとします。ですが、仕事以外の話をしたことはありませんでした。
ある日、ツイッターを見ていたら平野啓一郎さんの最新小説『ある男』を若林さんが読んで書いたエッセイが回ってきました。何気なく開いて読んでみたら…本当に驚きました。繊細で衒いのない美しい文章でした。例えばこんな感じです。
「他者を愛している」と自分が宣言するとき、その他者の“どこ”を愛しているのだろうか。その“どこ”に対する答えを「ある男」を読み終わった後、暗がりに手を伸ばしてかき回すように、ぼくはずっと探っていた。
こんな素敵な文章を書く人だったのか。仕事場での顔しかお互い知らないもんです。なんと若林さんはキューバ一人旅について書いた紀行エッセイ集『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』で今年の斎藤茂太賞を受賞、すでに立派な文筆家になっていたのでした。もっと読んでみたい。そう思って手に取ったのがこの本です。
雑誌「ダ・ヴィンチ」で2015年から今年の春まで連載していたもの33本と、新たな書き下ろし5本、まえがきとあとがき。
ぼくはずっと毎日を楽しんで生きている人に憧れてきた。(中略)
なんとか死ぬまでに、そういう人間になりたいと願ってきた。
だけど、結論から言うとそういう人間になることを諦めた。
諦めたし、飽きた。
それが不思議なことに「自分探し」の答えと「日々を楽しむ」ってことをたぐり寄せた。
この本には、その軌跡が描かれています
若い頃あんなに嫌っていたゴルフ始めてみた話。月に何度も襲われる片頭痛で鍼を打つ話。ひとりでモンゴルを旅して、承認欲求と所属欲求について気づきがあって草野球チームに入ろうかな…という話。スタバで気取って「グランデ」なんて言えるかよという自意識過剰に分け入ったら、“没頭”に行き着く話。
いまつらつら書いていて、自分が情けなくなっています。このエッセイの一つ一つがいちいち胸にしみて、これはみんなに読んでほしいと切に感じたのだけれど、どう伝えたらいいのかわかりません。ただこの本を読んでいると、頭の中でどんどん自問自答が湧いて、自分では解決しきれないまま押入れの天袋に放り込んであったような感情を次々に思い出しました。
私自身も若林さんのように、若い頃はひたすら頭の中で「自分と喋って」いましたが、いつからかそういう自分への誠実さを置き去りにしていたかもしれないと思います。自分とは一体何者なのかという問題の解決を投げ出していたかな。そんな思いが湧きました。
ひとつのエピソードを読み始めるとき、こんなにそーっと読み始めることもそうそうありません。自分の心のどこを揉みほぐされるのか、ワクワクしながら、ちょっと恐れながら読み始めます。そして最後の一行にたどりつくのですが。どのエピソードも「最後の一行」が素晴らしいのです。この一行を読むために、感じるために、心がストレッチングされたんだなあと思わされます。ネタバレしたくないので引用しません。でも本当にかっこいい「一行」ばかりです!
一瞬「これは娘に読ませよう!」と思いましたが、いや、オジさんオバさんにこそ読んでほしい。
エネルギーを“上”に向けられなくなったら終わりではない。
“正面”に向ける方が、全然奥が深いのかもしれないと思えたのだ。
それは、何歳になっても“昨日より伸びしろが広がることがある”という新発見だった
一冊の本を読む前と後で、自分がちょっと変わったなと、久しぶりに思えたのでした。