ありふれた日常も描き方によっては人を惹きつけることを、本書に収められた22編は認識させてくれる。
主役の大半は市井の人々だ。風呂無しアパートにひとり住み、決まった時間に決まったことを日々こなす老人、公園のベンチに座っているタンクトップ姿の中年、新聞配達の男性。そこには大文字で語られるような出来事はなく映るが、一皮むけば我々が想像しないような苦悩も、喜びも転がっている。どのような人にも物語はある。
寂しそうな老人は新聞への川柳の投書を欠かさず、川柳仲間との交流もあり、その世界では名が知られている。ベンチに座るサラリーマンは幸せな新婚生活を送っていたが、ある日、帰宅すると家がもぬけのからだった。新聞配達の男の配達歴は60年にもおよび、本業を持っているにもかかわらず、毎日深夜1半時に販売所に出勤し続ける。
ワケありの人もいる。胴の前面と背中の両面に宣伝用の看板を着けて路上で宣伝する「サンドイッチマン」。多くの人が繁華街で目にしたことはあっても気にしたことはないだろう。彼は何を思い立つのか、そこになぜ立つようになったのか。
有名人になることを避けた人や、有名人とすれ違った人もいる。
1964年に24歳で群像新人文学賞評論部門を受賞した松原新一は30代後半から突如、16年間も評論の第一線から姿を消す。松原に惹かれていた著者は生前、手紙で交流していたが、結局、聞けずじまい。死後、お別れの会で、その謎を知る。
国分寺の書店主。かつて書店の斜向かいでジャズ喫茶を営む若い夫婦がいた。書店主と夫婦は同年代ということもあり、3年にわたり親交を深めた。夫婦は千駄ヶ谷に店を移し、店主が体調を崩したこともあり、交流は途絶える。夫はしばらくして『風の歌を聴け』という小説でデビューし、後にノーベル文学賞の有力候補になるが、それはまた別の話だ。
余計なものを省いた文体も手伝い、読み手にその場にいるような臨場感をもたらす。著者の手法が果たしてノンフィクションなのかどうかは意見が分かれるかもしれない。だが、日常の風景というものは書き手の切り取り方によって印象は変わる。晴れた空に希望を抱く者もいれば、鬱屈になる者もいる。一編一編は短いが、どうしよもなく心が動かされる。